近世英國水彩畫一斑(上)
『みづゑ』第一 P.3-5
明治38年7月1日
水彩畫の大派が英國美術史中に主要なる部分を占め、受の基礎を強固にしけるは、今より百五十年餘の昔なりき。實に紀元千七百五十年以前にあつては、英國丹青家の間に於ける水彩畫の位置は極めて低く、將來流行の兆は更に見えざりしも、其間種々に工風を凝し、水繪具によりて最有望なる描法を案出したる諸名家も少なからざりき。爾來出來得る限りこれが發達に力を盡し、初めて水彩畫なるものゝ存在の基を成立せしむる事とはなりぬ。
水彩畫派の劈頭第一の畫家をポール、サンビー(POULSANDBY)とし、世呼んで英國水彩畫派の父と稱せり。氏と其弟トーマス(THOMAS)とは令聞殊に高く、十八世紀の美術教育に關しては著しき勢力を有せる人々にして、また今日に到る迄美術に關する智識趣味等を一般に普及せしめたるは、此二氏の力に待つ處多かり。
トーマスは建築を主とし、ローヤル、アカデミーの建築學の最初の教授なりき。ポールに風景、人物・肖像の畫家として當時斯界に異彩を放てり。千七百二十五年より千八百九年に、至るまで八十四年の生涯中、水彩畫の進歩發達に連れて、諸名家の續々輩出しけるも、其多くは皆氏が門葉にて、然らざるも氏が技巧の庇蔭を蒙らざりしものなし。今茲に同時代の畫家の名を擧げんに、ジェー、アール、コーゼンス(J.RCOZENS)ジョルジ、バレット(GEORGEBARRET)トーマス、ギルチン(THOMASGIRTIN)ジョン、ヴァレー(JOHNVARLEY)ゲーンス、ボロー(GAINSBoROUGH)等重なるものにして、恰も有名なる水彩畫家ターナー(TURNER)デ、ウィント(DEWINT)デビッ卜、コックス(DA-VIDCOX)ウィリアム、ハント(WILLIAMHANT)サミエル、プロート(SAMELPROUT)カプレー、フヰールディング(COPLYFIELDINGS)のそれの如く、水彩畫をして高尚なる地位に進むるの好果を得せしめけるなり。賓に當時に在ては、水彩畫に熱心に、種々の畫風を創成したるものは洵に稀なりしと雖も、それ等少數の人々にょりて良好の識見も發表せられ、流行派成は不易派の進化をも助長ぜしめ、水彩畫の目的をも充分に世に知らしめ、且その方式をも完成するに到れるなりき。ポールサンビーの滔々たる諸名家中、嶄然一頭地を抜く所以は、水彩畫の技巧に關する新見識を發表したる精神に存するなり。實に氏は從來美術の上・に永く享け來れる制肘惡憤例打破の.先鞭者にして、かゝる惡慣例より超然獨立し、究竟美術の健全なる發達を遂ぐるに到れるなりき。氏は美術の約束に就て、甚だ白由なる思想を持したる熱心なる白然の研究者にして、實に自然をして吾が藥籠中のものたらしめしなり。氏の作品中には確に二つの方面あるを見る。一はかのグランドスタイルの迷信者に蹂躪せられたる時代に流行を極めし古典派(クラシズム)の、面影の存するものにて、他は格式等を一掃して郊外の風物より得來りたるもの、これやがて自ら活氣の存するものある所以なり。
サンビー氏が、美術界改革に就て、自然寫實の動機を與へたるその主張は、公明正大なる確信より迸出したるものなれば、時の美術家中いかでかこれを歡迎ぜざるものあらん。當時氏の新論の、多數美術家の賛同を得たる所以は、他なしその確信を世に發表する手段の、頗る温和的に、誇張を避けて、從來世の人の耐へ能はざる難事となしたるものを、氏は比較的に容易なる方法を示し、水彩畫を以て如何なるものをも畫き得べしとの動機を與へたればなり。
此時代には、水繪具を以て單に黒白畫を作る爲めに用ゐ來りしものにして、自然界の描寫など夢想だもせず、たゞ一の圖案を作るや、そを鉛筆又はチョークにて組成し、慣習によつて定まりたる施色法にて淡く彩色するに過ぎす。この方法は現今建築製圖者の間に行はるゝものと粗同一なり。かゝる不自由なる手段によつて、水繪具を用ゐ來りしを以て、其結果は、水繪具を以て各自の深遠なる思想を表はす能はざるものと斷定せられつゝありしなり。その頃時好に適ぜる佳絶なる風景畫を印刷すること流行せしため、その下畫として線と色彩を組合せたる極めて下劣なる、且無價値なるもの續々作り出されしを以て、もし美術家にして、その品位を保たんとするには、必ず油繪を製作せざるべからず。世人もまた水彩畫なるものは、其實古風の畫法にして、他の作品の附屬物の如き感を以て、殆ど度外視しつゝありしなり。乍併、十八世紀の末に到つて、かゝる謬見は忽ちに消失し了れり。前記ポール、サンビー及び、同時代の画家の精苦によつて、不完全なりし水彩畫に新生命を生じ、それに連れて良好なる鑑賞の風も起り、世間も美術界も以前の陋見を捨てゝ、水彩畫に對して大に尊敬を拂ふに到りぬ。爾來水彩畫の進歩發展に瑣の頓挫なく、畫法の束縛も漸々消滅し來り、題畫選擇の狭隘なる制限も廢りて、廣く且自由になりぬ。隨て色彩使用の慣例も破れて豊富となり、配色の上にも大變化を生じたりき。
ターナー。デウイント。コツクス其他の諸名家は、水繪具の使用に關して明確なる。價値ある、表情的配色の好例を殘せしため、後繼者は喜んで其衣鉢を傳ヘ、似て現代に到る迄、熱心の度を加えつゝ持續しつゝあるなり。溯つて考ふれば、かくも今日世間に重んぜらるゝ水彩畫の發達は、百五十年前新説を稱へ、自然の描寫に於て、舊派の畫家の觀察力にては、得て望むベからざる底の大進歩を促したる、ポール、サンビー氏の功勞に歸する事勿論にて、吾人は此光榮ある好果に對して、深く氏に感謝せさるベからず。