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大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

ふぢ
『みづゑ』第一 P.13
明治38年7月1日

 いよいよ水彩畫御初め遊ばす事に御决心なされ候由、何事にも御熱心なれば、他日の御進歩今より思ひやられ申候。學校にて學びしは日本畫にて、鉛筆畫の素養不充分なればと御氣遣ひの御様子御尤もには候へ共、先日拝見致せし御手際にては、物の形を寫すに御不足あるべしとも覺えず候。色彩畫を學ぶに墨繪の講習は、元より必要欠くべからざるものに候へ共、將來專門にと申御考でなく、只慰みに旅行先にで繪葉書位ゐ猫ければ滿足との覺召なれば、今後御間合に鉛筆にて濃淡の調子など、御研究に相成候はゞ充分なるべく存候。私の知り合のうち、ある人は、最初輪廓さへも碌にとれぬに狗はらず、大膽にも水彩畫を始め、僅か一二年にして兎に角他人に見せてもさまで耻かしからぬものを、描き得るやうに相成申候。素より高き鑑賞に耐へ得べくは候はねど、白ら娯しむには餘りあるべく存候。これに反して他の一人は、手重く搆へ、是非正則にと毎日鉛筆いぢりを致し居候ひしかど、素より色ある繪に比して興味薄きためか、中途より嫌氣生じて終には畫筆を棄つる事と相成申候。
 さて準備として新に御買求めの品々は、贅澤に限りなく候へ共最初のうちは不殘取揃へるには及ぶまじと存候。先第一は繪具箱にて、五圓六圓の贅澤な品は用なく候へど、二三十錢の和製にては間に合申さず、十三四色入中葢つきたるものにて壹圓前後の品適當かと存候。十八色二十色入と申ものも必ずしも自分の入用の繪具ばかりに無之、いづれ後に好める色を買足さねばならぬ事に候。筆は八號一本三號一本あれば間に合可申、黒毛羽根軸の上等品なればかなり使用に耐へ可申候、是は和製にてよろしく候。輪廓をとるための鉛筆はHB位の硬さのもの使用に便利に候。消ゴムは後には殆ど入用なくなり候へ共、初めは軟かなるもの一つ御用意なさるぺく候。紙は最初よりワットマンや0、W、に及ばす、上質の畫用紙にて充分に候。畫板の御持合せなくば、洋畫紙八ツ切大のスケツチングブロック一つあれば暫時使用致され可申候。尤もそれより小なるスケッチブックにてもよろしく候。以上の品々の外、見取枠一つ、コップなり鉢なり筆洗となるべきもの一つ有之候はゞ、いつにても水彩畫を始められ可申候。戸外寫生には猶入用の品も御座候へ共、急いで御求めには及ばす、繪具箱や紙を風呂敷敷包みとせば畫嚢は不用、筆洗はインキか香水の空壜にて澤山、膝の上で描けば畫架や寫生箱の用なく、到る處木の根、草原、捨石を見出す事難かるまじく、古新聞一枚あれば、三脚も當分は無くとも濟み申べく候。何れ御仕度整ひ候上は御通知下されたく、その上にで又々心づきし事ども詳しく可申上候草々

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