讀で下さい
『みづゑ』第一 P.17-18
明治38年7月1日
▲本誌發行の由來は、巻首に陳べたほか、猶一つの理由があります。
▲それは私の著書『水彩畫の栞』も、後の『水彩畫階梯』も、唯その道に入るベき手引として書いた迄で、それ以上の事は學ぶ方々の研究に任して置きました。
▲然るに偶々、此書によつて學ばるゝ人々のやり方を見ますと、或る人々は、私が書中に呉々斷つてあるに拘はらず、寫生すべき物の色をそつち除けにして、私の着色法を紙の上に並べて届られ、また或る人は、みすみす不利益な力式をとられ、何れも進歩してゆくべき路を踏外してゐらるゝ方々が多い樣であります。
▲このやうな有樣を見ますと、私は諸君を門に入るべく手引した許りでは氣が濟みません、不親切のやうにも思はれてなりません、今少し立入つて熱心な人々の御相談相手になり、共に共に此道を樂しみたく思つた故であります
▲本誌は二三友人の助力を得て漸く發行の運びになりましたが、御覽の通り粗末なものです。併し何れも本業の餘暇の仕事で、多くの時間をこれにかける譯にはゆかず、經驗もなし、不行届とは知りながらも、初號はこれで精一はいの出來で、この上は力が及びませんでした。是から追々讀者の注意を受けて、能ふだけ内容も外觀もよく致してゆくつもりです。
▲次號からは水彩畫に關した新刊圖書の批評をかきます。初學の方に御勸めしてよいもので、割合に世間に知れてゐないものもあり、また害のみあつて寸毫の益もない畫手本の類が、誇大の廣告をして人を欺いてゐるのもあります。かゝる事は水彩畫發達の上に少なからぬ影響を及ほしますから、勉めて公平に批評して、善いものを推薦し、不良のものを出版界から黜斥けたく思ひます。
▲口繪の水彩風景畫は、英國のロバアト、リットル氏の筆であります。穩やかなる畫風のうちに、筆力の剛健なるを見るべく、華やかなる色調はなくも、見飽のせぬ永久の生命が含まれてゐます。
▲口繪の製版は、その術に於て屈指の金子政次郎氏の手に成り、秀英舍第一工塲で印刷しました。色の調和の複雑な西洋畫の製版は、凡手のよくする處ではありません。殊に此繪の如きは少なからぬ苦心を致されたそうです。爾來本誌は、口繪に於ても他に眞似の出來ぬ程のよい物を、追々紹介致したい考であります。
▲鯨船の圖は、木年春期、米國費府のアートクラブに開かれた水彩畫展覽會に出たもので、取材の奇抜なる、筆路の大膽なる、唯々敬服のほかはありません。このやうな活た繪は、我國の展覽會では、容易に見る事が出來ぬやうに思はれます。
▲本誌の表紙は、四谷大番町なる尚山堂水野氏の好意によつて、雑誌としては他に類のない高尚なものを得ました。次項の繪葉書挾も、同じ工塲で作つたものです。
▲本誌發送の途中、口繪の傷まぬやうにと帶封に厚紙を添えて置きました。この厚紙の中央にある八つの白點へ穴をあけ、リボンなり絹糸なり通して、裏で結ばれるときは、美しい繪葉書挾となります。この厚紙の添えてありますのは、本會からの直接購讀者に限ります。
▲『水彩書の栞』は、説明の不充分な點が多く、猶書加へたい處がありました故、昨年の春第十五版限り絶版して、夏に内外出版協會から『水彩畫階梯』を發行しました。然るに、近頃元の出版者の新聲社でなくて、何處よりか『水彩畫の栞』第十八版といふのを出してゐます。そして著者に一言の斷りもなく、書物の體裁を變へ、口繪には著者筆としてありながら、全く私の知らぬものさへ挿んであります。私は元より水彩畫の普及を冀ふほか他意はありませぬ故、本文さへ間建つてゐなければ、発賣を差止やうとも思ひませぬが、所謂十八版の書を通讀して見なければ解りません。何れに致せ、私は『水彩畫の栞』第十五版以後のものには、一切責任を持たぬと申事を、爰にお斷りして置ます。
本誌の編輯上其他に對して御意見ある方々は、遠慮なく御注意を給はりたく、編商は出來得る限り御希望に副ひ、本誌の進歩を圖るべく候。