寄書 水彩畫に志せし最初の動機
晩韻生
『みづゑ』第二
明治38年8月3日
私が繪を始めましたのは別に是れと云ふ著るしき動機は無かつたのではありますが、極く幼少の頃より總べての繪畫に對して崇高な興味を排つて居りました、鄙地の事で名匠の作などに接する機會は殆ど有りませむので雜誌の挿畫や版刷の繪を見るのを樂しんでゐました。
先年青梅町の鵜澤四丁先生や同地の珠郎氏の發起にて案山子吟社と稱し新派俳句の月次會を開かれまして其天位の句に對しては先生の水畫(臺紙に張りし小さきもの)を贈與せられた事がありました、私は或る處でふと其畫を見、非常に感動せられ頃日の野心は一時に萠えたち直ちに道具を整へて取かゝつて見ましたが果せうかな畫らしきものは一枚も出來ませんので三四ケ月間は落膽の裡に葬られて別に畫いて見る氣にもなりませんでした。
其後珠郎氏より春鳥會のエハガキの事を承りまして急につまらぬものを出しました所が僥倖にも交換品の美くしきものが參りました、夫れよりは一心に遺つて見る氣になり月々の課題が待ち遠しき程になりましたが如何にせむ多くの時間を持たぬため充分練習を遣る事が出來ませんが、たまたま閑暇を得れば辨當と畫嚢を背負つて野外へ走るのであります、初めは筆は動かず色の調和が出來ず亦好位置は見當らず随分他人には呑氣の態に思はれながらも其實苦心慘憺を致しました。
特に不思議な事は、室内での臨本寫生には思ふやうにゆかぬ勝ですが一歩野外に出ると眼前が惣て實物なれば畫も自然實物に傾きて意外にも成功する事があります。また我々初心の徒は野外寫生程進歩を助ける術は外には恐らく無い事と信して居りまずす。