雜聞


『みづゑ』第二
明治38年8月3日

△六月の繪ハガキ競技會は、丁度一週年といふので、青梅からは小林珠郎君が出て來る、木曜會では巖谷小波同爽日、千葉紫艸の諸氏、きぬた會の柳川春葉、木村光太郎兩氏も見え、其他客員眞野紀太郎君を始め、五六の會昌も集まって、中々盛會であつた。
△さていよいよ選評にかゝつた所、千葉君の出品に、軍艦のマストに黄の丸をかいた旗のある繪があって、それは「竹」だといはれたが、誰も其眞意味を解するものがない。一體この黄ろいものは何かときいたら、親王旗だといふ。いよいよ解らなくなつたが、詰りは竹の園生といふ酒落であつた。
△竹の園生は、かく慘たる苦心に成つたものであつたが、「竹」は生憎技術の方の課題であつて、高點を得られなかつたのは、いさゝか御氣の毒に存じた。
△ハガキの分配が濟んでから、則席繪ハガキの交換をやつた。題は「匂ひ」で、十五分間限り、早い人は二三枚も出來た。夜行巡査の嗅つけ、火葬塲の煙突なと尤も振つたものであつた。
△タ飯の濟んだ時、こんな繪ハガキが來た。これは太田南岳子が、この問からの齒痛で、今日往かれぬは殘念だと、四谷の天から目白坂を睨んでよこしたのだ。
 img:0053_01/jpg△これを見た一同は、いで南岳子困らせの繪ハガキを作らうと、いふかと思へば見てゐる間に、忽ち一ダース斗り出來上つた。そして互の趣向を比べ合つては、あちらでもこちらでもアハヽヽヽヽと大笑ひ。百本抗を亂抗齒に利したものや、五色の息を吐いてゐるのや、今抜たばかりの血だけの齒から、芋虫のやうな奴が動いつゐる薄氣味のわるいのもあって、その上文句入りだから堪らない。これを見たら、南岳子は定めし齒の痛みも忘れて仕舞ふであらう。
△それから、不參の人々へ出す合作のハガキをかいて、九時頃散會したが、半日笑い通しの、極めて愉快な會合であつた。
△近頃種々なる文學美術雜誌に、口繪や挿繪を描かれてゐる丸山晩霞氏は、水彩畫の大家で、多年郷里なる、淺問山下に在て研究を積まれてゐたが、此秋からは東京に居を移さるゝ筈である。
△氏が東京に來られたら、本誌のために大に盡力さるゝ約束で、猶都合によつては、水彩畫の研究所を開いて、斯道に熱心な人々に教導の勞をとらるゝ考もあるとの事である。吾々は氏の出京の、一日も早からん事を切望する。

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