近世英國水彩畫一斑(中)
『みづゑ』第三
明治38年9月3日
近世水彩畫は人物畫に比して、風景畫に重きを置きたることは、一般に人の知る處にして、斯く一方に偏したるは、水繪具が光澤あり、雅美優麗なるが爲めに、空氣を描き、或は天色を配するに利便多き一が故なることその原因なれども、又舊派畫家の多數が風景畫作製の動機を作りし理由も存するなりき。われ人物畫の粗野なる畫題を描きけるものなきにはあらず。また畫の主要部分に人物を配合したるものもありしが、かのターナーの如く自然界を研究して得來りたる繪畫の如きものは、これを見ること能はざりき。水彩畫は今日の如く隆盤を來し、著しき發達を極めたれども、風景畫人物畫共に相親みて、發展の域に進むこと能はざりき。素より人物畫家の水彩に依りて作製したる作品にして殆ど量に入りしものなきにはあられど、これを風景畫家に比すれば、大に遜色あるを免れず、隨て比較的に今日英名を轟しけるものは、人物畫家に少き所以なりき。
事態斯くの如きものから、英國に於ける何れの時代にても、その水彩畫を閲檢するに、第一に注意を惹くものは風景畫なり。風景畫が多樣にて、また技術的の質に於ても著しく統一しければ、直接或は偶然の神來の感興を遣るに瑣の困難をも感ぜざ声るなり。方今の水彩畫家は古代の典型の據るべきものは措て、鸚鵡返しの流行を繰返すが如きことは决して爲さず。所謂數年前の流行を再演し、或は他時代の格式を捨てゝ、精神を取るなど、換骨脱態的の筆法を施すが如きは決して爲さゞる處にて、近代開明の餘澤と現時の確信に依りて、水彩畫家も獨立獨歩の域に進みけるなり。即ち過去の畫風の勢力や、その據るべき典型等が、彼等の美術界の立塲を危くする底の抑壓を逞しうせざるなりき。言ひ換ふれば何れの年代の畫家なるやも知るに苦しむが如きことは得爲さゞりき。
水彩畫家は美術史を精密に研究する人々に對して好資料たるなり、これに依りて其の進歩發展の細目を明確に知ることを得べく、舊派の抑壓拘束等を脱して進歩發展するに至りたる徑路を明に示せばなり。偖て試にウインペリース《Winperis》ソルン、ウエー卜《ThorneWaite》エッチ、ビー、ブラバゾン《H.B.Brabazon》工ー、ダブリュー、リッチ《A.WRich》等の水彩畫を檢せよ。宛もデビィッドコックス、デウイント、ターナー等の他の古代の諸名家のヴァレー、ギルチンに於けるが如き、反照を相互の間に見ることを得ぺし。相方の塲合にて、神來の感興の直下は分明に知ることを得るなり。また近代畫家が古代諸先輩の畫風を研究したることは勿論にしてかのエフ、ジー、コットマンの如き祖先の畫風に侯つこと多く、所謂ノールウイッチ派の遣風の存するを見るべし。またバーナード、エヴァンス《BernardEvans》の如きバーレット、またはジェー、アール、コーゼンス等の畫風に私淑する處あり。斯の如くなれば故人の作品を全然模寫し、他人の思想をとりて製作するが如き醜體は更に演ぜざるなり。美術的の祖先の遣風と特性とを有し居れども、祖先輩の思及ばざる技巧を盡して、益々修養には怠らざりしなり。偖てこれを反對の方面より觀察すれば、現時代の作品も他時代のそれも品位を保つてふ點は一致するものにて、これに依りて技術の進化の研究にも大に得る處あるなり。美術が今日迄徑來れる何れの時代にても、其間には必ず相連絡する處ありて、其の徑路を精細に研究すれば、自らその變化の跡の分明なるものあらんなり。
新古兩樣の比較に於てこゝに解すべからざる一事あり。そは古代水彩畫家と近代畫家との間には、一世紀以前、既に業に其當時の名家が解説せんとあせりつゝありし同問題を、今猶これが考究に熱中し居ることなり。同信條を持せる新舊兩派の間の差違の著しき點を比較研究するに、全く正反對にして、またこれと同時に、信仰は同一なるにもせよ、明に懸隔あることを知るべし。例之は全く自然より得來りたる態度にてありながら、古代の粧飾的雅致を慕ふが如き、かのイー、エー、ウォーターロー《E.A.Waterlow》ジェー、ダブリュ、ーノールス。《J.W.North》アルフレッド、イースト《AlfredEast》の作品に窺ふべく、かの結構のローマンスの風あるが如き、かのロバート、リットル《RobertLittle》アルバード、グードウィン《AlberdGoodWin》の作品に見ることを得べし。かのレスリー、トムソン《LeslieThomson》オーモニーア《Aumonier》フランク、ワルトン《FrankノWalton》クラヽ、モンタルバ嬢《MissClaraMontalba》サー、フランシス、ポーウェル《SirFrancisPowell》の作品の如き、僅に近代風の面影を存するに過ぎざれども、其實、郊外に出でゝ精細の觀察をとげ、充分なる意匠を盡して、色調の關係や色彩の融和等に意を用ゐて製作したるものなるを。
かの粗雜なる寫實派アール、ダブリュー、アラン《R.W.Allan》の如き、ジー、シー、へート《G.C.Heit》シー、ジエー、ワツソン《C.J.Watson》の精確なる畫風の如き、また風土記的精細を極めたるフーレーラブ、《Fullylove》エルグード《Elgood》の如きハーバード、マーシヤル《HerbertMarshall》ローズ、バートン孃《MissRoseBarton》の確實なるが如き、慣れたる不注意の畫風たるジェームス、パターソン《JamesParterson》の如き皆擧げて、現代諸派に關聯せる粧飾的意匠の連綿として、百五十年以前の諸畫派に續けるにあらずや。