色彩論(二)色彩の調和及自然の對照

榕村主人アコウムラシュジン 作者一覧へ

榕村主人
『みづゑ』第三 P.4-6
明治38年9月3日

 サー、デビソト、ブリュースター著光學に曰く。或特殊の色光を凝視して、眼を白紙上に轉ずると、白紙の上に今迄視て居つた色光と異つた色が視える。これが即ち最初凝視した色の偶色といふものである。例之ば、輝いた赤色の封蝋を白紙上に置いて、これを凝視して居つた、眼を白紙のみの處へ轉ずると、封蝋と同形の帶藍緑色の圓點が視える、この色が赤色の偶色である。それでこの封蝋の帶藍緑色の幻影を肉眼的幻影といふのである。諸種の色彩の封蝋で實驗した諸色の偶色を左に掲げる。
 封蝋の色偶色
 赤色帶藍緑色
 橙黄色藍色
 黄色印度藍
 緑色帶赤菫色
 藍色橙黄赤色
 印度藍橙黄黄色
 菫色帶黄緑色
 黒色白色
 白色黒色
 これ等の二色を指して反對色といふ。
 この最初の色と偶色とを合すると白光色となるので、偶色をまた補充色ともいふ。最初の色と偶色とは繪畫に於ては相互に調子の整ふものであるから、偶色を齊調色ともいへるのである。』
 光線の變化によつて、自然界の色彩に附ての觀察も非常に異るものである。光線は常に變化しつゝあるもので、例之ば朝の日の出の薔薇の色は日沒の豊富な黄色となるではないか。物の色といふものは、日光を直接に受けない冷い程よい光線に照らして初めてその眞の色彩を見ることが出來るものである。畢竟畫室の窓を北方に取るのは此理に原くのである。
 天然の物體の色は光線の量に依て變化する。例之ば砂の土手が一部は輝いた光線に照され一部分は陰になつて居れば、全體が其眞色の黄色には見えない。影の部分は黄色の光線を充分に反射しないで、輝いた黄色の部分はその偶色の紫に見ゆる傾向がある。また物の色は四季の變化、日中の時、空氣の状態、光の強弱等に依りて變化するものであるから、畫家たるものは周到の注意を以て研究を重ねばならない。で光線の變化に依て起る色彩の研究の方法は、其都度景色の實物によりて、精密なる模寫をするより外にはないので。かゝる研究をして置けば畫面如何なる塲合に寒色又は暖色を用ふべきやを知ることが出來るのである。サー、ジョシュア、レオノールズが特に歴史畫家に注意した事があるが、宜敷風景畫家も亦これを學ぶべきものであらう。『繪畫の光線は暖色でなければならぬ。重なる光線は白色でも可いのであるが(ダッチやフレメン畫家は好んでこれを描いた)、落日の黄色の光線の輝が白色をしてゐる。チ丶アンの畫はこれである。自然界に於て物の輝いて居る部分は暖色であるので、暖色に描く方が美を戊す理由である。』
 何れの光縁が暖色であるか、寒色であ、るかを判斷するには、對照や、廣さや、空氣や調子等に依りて充分に研究せねばならない。
 物の赤色の如き、明暗の種々な影響で澤山な變化があるもので、例之ば赤色の帳が日光に晒らされた窓に掛つて居ると、最高い光線の箇所は白色の線となつて、定色が失せる。此次の部分の半光線に照された所は帶黄赤色、或は琥珀色で、これより弱い光線の處が、恐らく眞正の色が見えるのであらう。次に最深い影の處は紫か黒かに見える。また同じ赤色の帳も異つた光線の爲には帶赤鳶色、紅、或は帶黄ラセット等に見ゆるのである。
 黄色は強い光線に照らすと、不明瞭で、太陽の光線に照らしては全く見えない。和かな日光に照らして初めて明になる。これを人工的の光線に照らすときは大いに變化がある。で薄い黄色は白色と殆ど區別が出來ない。
 藍色は強い光線に照らして力あり榮えのある色で、殊に日光の色であるが、弱い光線に對しては最中和色となる。此故に空氣や霧の普通の色と最密接に同化するので、遠方になるとその定色が失せてしまうのである。
 以上は第一色が種々の光線に依りで、重に變化する大略を述べたのである、また合成色でも塲合が同じであれば、同樣の變化はあるのである。
 第二色中殊に注意を要するものは緑色である。此色は風景畫には最も著しい色である。殊に光線の變化に對して最弱い二色を合成した色であるから、其性質に附て大いに注意を要するのである。自然界の風景中の緑色を見るに際して、此色が黄と藍との三と八との割合で合成した輝いた極まつた色でないといふ事を記憶して置かねはならない。此緑色なるものは寧ろ佛子柑色、藍、鼠色か、または黄、橙黄、藍等の合成でなければならない。緑色の一般の性質は冷くて、僅に光線を反射し、重に陰の色で、その各別は遠距里になると忽ちに消失せて、藍が帶藍鼠色と變化するのである。此色が藍色に最も大なる不調和を呈する時にはこれに好果を與ふる爲には、調和のよい暖な紫の靄即ち空氣の色や、同じ雲の色が常に天空の淺黄と同化するやうにして居るのである。(完)

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