百花圓の一日(水繪寫生會の記)
鵜澤四丁ウザワシテイ(1869-1944) 作者一覧へ
四丁
『みづゑ』第三 P.14-15
明治38年9月3日
隅田の花に背くことこゝに十年。小蒸汽を小松島に乘捨つれば、青田越しなる白髯の森、昔ながらに、こんもりと茂りて、お久振りぞとわれ等を迎ひ顔也。急き候程に既やこゝは百花園とぞ小聲に口吟めるは眞野默念子、續いて大下汀鶯子、加藤珂亭子、山田白紅子ぞろくと園内に進みて、とある阿屋へと行けば、先着の越本米水子、小林華秋子等既に大きやかなる寫生箱を開きて、花など寫し居ける也。いざ約束の蓮をと、花草の小徑を辿り行けば、袴着けざる庇髪の嬢さん二人、手帳に色鉛筆持ちたろ、歌もや案ずるならんか、更に進めばこゝにも若き男の立ちながらに何やらのスケツチ、池の畔に出づれば、蓮の浮葉のおちこちに、圓葉のちらりほらりと立ちたる、紅き莟さヘ二ッ三ッ。對岸の茂り闇く、充分に繪となる好位置とて、己がじゝ三脚を据えける。われは百花園と聞きて態と三脚持參せねば、何か腰掛をと望めば、陶製のもの二ツを持來りぬ。されば一ツに箱を据え、他を横に倒して腰掛けつ、それも繪になうとは彼方の汀鶯子が笑ひなからにいふなりけり。さて鉛筆の輪廓了りて繪具を塗らんとすれば、華秋子寫生箱に損所の出來し、そここゝと何をか探し廻はるを聞けば不自由な處ぞ小石一ツなしとて囁きつ、果ては金槌借來りて頻りにかちかち。
さすがに土用の事とて、日光のぢりぢりと照つきて、其暑さいふばかりなく、暑い暑いを續けざまに訴ふれば、中に小意地の惡き人ありて暑きといはゞ五錢の罰金を課すべしとの發議成立ちぬ。さても其後ひどく其何ですなとばかりにて、どうも涼しくない等繰返し居けるか、此方の米水子照附けし寫生箱に手を觸れて、思はず熱ツと叫べば、それそれ罰金。
頓て頼置きし辨當の來れるを潮として、難題の寫生を止めて、彼方の家へと引上げの、澁茶に咽を露ふしつ、丼の辨當さらりと平らげてあゝ涼しくない涼しくない
隣席の人々語合ひけるは、あちらでは顔を洗へば罰金ぞと。蓋し此時われの顔洗ひながら、暑いと口滑らしくそれ罰金といふを聞きしなるべし。默念子これを聞きて、それは違つてゐる、暑いッと無意識に口走りしに心附き、急に口を寒ぎしも後の祭、それ罰金と動揺めくなりけり。折しも…珂亭子何れよりか歸來りて、あつあつあつとダプリけるを、またしても罰金。こりや堪まらぬ、早く罰金を徴集して菓子など買はんといふに、しやうことなしに出し合ふたる大枚五十錢。それからは暑くもなきに續けざまに、暑い暑い。
暫時は己がじゝ繪の補綴などして、いよいよ交換繪葉書製造にとかゝりぬ。第一にこゝの判を押してよと頼めば、種々の形のもの、終には烙印に朱肉して押したるまでありける。愈これを利用して繪とすれば、漸々に寄せ書してなかなかに與あるもの得出來ぬ。先に隣席にありげる、とぼけ面の鼻鹿二人、大變だ大變だと入來り、何卒拝見さして被下といふなりけり。いやこれは面白い。な、なる程、おつでげすな。これを一枚頂戴い出來ますまいか。あげても可いが、一席やり給へ、何れ技術の交換だ。いやそれは痛入りました、御尤樣で。時しも用紙の眞中に角印を菱形に押したるを、小林子髯面の坊主が大口開きし體に描きければいやこれは面白い。そこへ汀鶯子、扇子をもて額を打たんとする樣に書添へける。
いやすぐあゝやられる、恐入りましたな。かくて繪を乞はん白扇だに持たざる彼等は、とんだ御邪魔樣をと、元の座敷へと引下りぬ。二人共に何れは御ひいき樣の取巻きとはいはでもの事なるべし。これよそれよと描き描きてこゝに三十餘枚。中にも傑作とすべきは、淺草觀音、元録の面影ハイカラ、晩歸、百花園等なりき。折しも取寄せし言問の蒸菓子來りぬ。今日は案外にも甘黨の跋扈。上ごのわれの殆ど閉口、口惜しさに二ツ許を亡しぬ。小林子とある菓子を笠と見立てゝ、畫紙に載せ、雀躍りを描きたる、面白さに宿の主に贈りつ。やがて夕日の西に傾けば、興は盡きねどこゝを立出でゝ、小松島の畔に行き、隅田の堤の森淡きわたり、前景に船二三艘ある威に、六人づらりと三脚を並ぺぬ。こゝに到りて三脚持たぬわれの悲しさ、地上に布呂敷布きて箱を開ける樣の、宛らに雪蹈直しの格なるも可笑しかり。繪筆を走らすること三四十分、繪のあらましに仕上がれる頃は手元やゝ暗くなりければ、まつは寫生箱を閉ぢて家路へとは向ひぬ。汽船中にて、華秋子の曰く、あんな催しならばいつでもお知らせください。どんな都合をしても參ります。今日の會合の什麼に興深かゝりしやは、これにても知らるべくなん。
(完)