寄書 水彩畫に志せし最初の動機

萩博生
『みづゑ』第三 P.18
明治38年9月3日

 私は元來圖畫と習字とは極不得手で、尋常小學校以來高等小學校頃迄は何時も點數が非常に惡いので、其れが爲め好成績を得ろことの出來ない位でした。中學に入校致しました時。圖畫兼習字の敎師の常に教へられましたには、習字圖畫もある程度迄は勉強一つて進むことが出來る、某氏の如き初め字は下手の方であつたのが勉強の結果只今にては日本の大家を以て目せらるるに至つたなど申して、大に勵まして呉れたので、私も一つやつて見樣と云ふ氣になり、時を定めて之れ等の練習をやりましたが、何がさて習字は生來の不得手と見へて長く續きませんでした。然るに圖畫の方は、練習中に趣味を感じて來まして、少しつつ續けて居る中に點數も増して來るので、だん面白くなつて來ました。此の時は鉛筆畫でしたが、丁度中學三年級の時に水彩畫を極く好きな友達と一處に下宿する樣になりました。其人が臨本ではありましたが甘く畫くので、私もつい釣り込まれて描いて見樣と思ひ、大分熱心にやりましたが、田舍は仕方のないもので、耻かし乍ら其時迄は肉筆の水彩量を見た事はありませんし、水彩畫の如何なるものなるかは全く知らず、鉛筆畫手本中の繪を色どる位に過ませんでした其うちに水彩畫の栞を得て臨本の弊寫生の徳を説明され、又自然を手本とすべしなる語を見まして大に感ずる所があり、寫生の眞似方の樣なものでしたが隨分一生懸命にやりました、そして其趣味は中々臨本の及ぶ所でない事を知るに至つたのです。其頃寫生畫三枚を教師に差し出した所が、'不思議にも最高點を呉れましたのて大に力得を、又益々面白味を感じ、熱心に畫く樣になりました、只今も(高等學校在學中)大なる樂として、暇さへあれば畫いて居ます。

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