雜聞
『みづゑ』第三 P.19
明治38年9月3日
▲七月の繪葉書競技會には、巖谷氏に御不幸があつたゝめ木曜會の人々は見えられなかつたが、青梅からは惣代として瀧島寛水君が出京され、客員の眞野氏、三條夫人、石井拍亭氏も來會され、二三の會員のほかに、繪葉書蒐集家として知られたる石橋華月君も來られて、炎暑中に拘はらず中々盛會であつた。
▲選評が濟み夕飯が濟んでから、例によつて合作會を開き、出來た繪葉書を不參の人々へ送つた。巖谷家ヘの弔みといふので、佛臭い繪葉書が澤山出來た。それから紀念交換を幾枚か描いて、散會したのは十一時過であつた。
△一寸序に云ふて置が、此會へ出品さるゝ方で、會費の封入してないのがある。切手代用でよいのだから御心當りの方は早速送つて貰いたい。それでないと繪を御返し申事が出來ない。夫から會費は多人數でも一まとめならやはり五錢でよろしい。
▲銀座の服部時計店ではニェートン製水彩畫の乾製繪の具を發賣した。直輸入で一時に澤山取よせる爲め、他に比して一個十錢から五十錢迄の廉價で賣つてゐる。近くに筒入のも來るとの事である。
△乾製繪の具は一寸使用に不便ではあるが、質は一番よいやうに思ふ。地方の人や偶に使用する人には却て保存上都合がよい。
△乾製繪の具は、適宜の大きさに切つて(刄物をあてゝ鎚でうてば割れる)其儘繪の具箱へ入て置てもよいが、常に軟くして置くには、盃か茶椀へ入れ熱湯をそゝぐと暫時にして軟かになる、澄んでから上水を捨てゝ、其あとヘグリスリンを適宜に入れて置くと、いつでも軟かになつてゐる。使用する時には取出して其儘でよく若し塊りがあつたら、竹箆で練ればよい、。
▲石井拍亭、平福百穗其他二三の諸氏によつて企てられた平旦といふ雜誌は、多分此.號と共に産れるであらう。内容は漫畫が重で、記事は稍眞面目な美術論が多いとの事、初號には鹿子木氏の手になった奇抜なものが出るとの噂である。
▲春鳥會繪葉書の第二輯、水彩畫の部は最早校正が濟んで程なく出版の運びになるとの事。其顔ぶれは左の通りである。
よせくる浪佐藤清
多摩川の夕堀内汎
澁谷杉原一雄
グロスダーの夏在米K、M、
海萬鐵五郎
立川の朝K0生
發行所は日本橋の松聲堂。
▲九月から神田猿樂町の萬國繪葉書交換會で、往復ハガキ形といふ極めて可愛らしい雜誌が出るとの事、挿繪は色刷のコロタイプ六七葉入りで、短文や詩歌の最も面白いものをあしらひ月三回發行する計畫とか、どんなに氣の利いたものか早く見たい事である。
■みづゑ第一、再版出來致候、賣捌所に無之候節は直接本會へ御註文被下度候。
■みづゑ第二は殘部僅かに候間、御入用の方は至急御申越被下度候。
■郵券にて誌代御送りの分には不足のもの多く、稀には過剩も有之、何れも計算上迷惑につき、以來郵券代用の節は一部に付必ず二十一錢の割にて御送被下度候。
■みづゑ第四より表紙の模樣を取換へ可申候、尚山堂主人が如何に意匠を凝らすべきか。
口次號には寫生遠近法の續稿出づべく候。