近世英國水彩畫一斑(下)


『みづゑ』第四
明治38年10月3日

 現時の最も進歩したる畫家の繪畫と雖もかの粧飾的意匠の範圍を免れず。自然の極端なる寫實派の如き、たゞその附屬物たるに過ぎず。總て繪畫は樣式派の精確なる眼に依りて結構布置せらるゝものにて、もし樣式派と寫實派と相衝突したる塲合は、多くは寫實派が預りて困めらるゝなり。然れども歳月の經過と共に繪畫の健全なる組立に關する種々の要素を均一するに至りぬ。而して不適合なるものに高雅の趣味を加へ、以て完全なる調和を作出するに到れり。實にウィルフリット、ボール《WiLfridBall》アイル、オゥーヵー《EyreWalKer》リオネル、スミス《LionelSmijthe》マシュー、へール《MathewHale》マックブライド《Maxbride》モファット、リンドナー《MoffatLindner》アーリンクハム夫人《MrsAllingham》等の寫實派に於けるまたクロード、ヘース《ClaudeHayes》イーンド、キング《yeeudKing》等の極端なる寫實に於ける、皆諸畫家中各時代の意匠を仄に示しつゝあり。而して上記作家の作品を瞥見すれば、かのターナーの幽玄なる面影及サンビー其の他の全時代畫家の嚴正なる格式に思及ぶなりき。今時、時代の思想を精確に表現したるものとても、最初より吸込まれたる英國水彩畫家の精神は、所謂先入主となりて、充分にその影響を蒙り居るものから、たゝ繪畫の形のみの變化にて、年の經過に依りても、精神には變異あらざりき。
 風景畫に於ては以上説明の如しと雖も、人物畫に於ては十八世紀の少数なる祖先畫家との聯絡は容易に見出し難し。かのホイートレー《Wheatly》の優雅にして素朴なる畫風、またはシプリアニー《Cipriani》の品位ある入爲的の畫風や、サー、ジェー、デー、リントン《SirJ・D・Linton》の巧妙に研究したる組立や、またクローゼン《Clausen》の著しき寫實研究の如き、皆大に異れる處あり。試にトーマス、ヒフェー《ThomasHeaplry》またはジヨシユア、クリストール《JOshua.Cristall》とウォーター、ラングレー《WalterLangly》とを比較せよ。實にその發達進歩の點に於ては其の意外の急激なるに驚かざるを得ざるなり。ケート孃《MissKate》グリーンナウェー《Gieena-Way》ジヨルヂ、ウェザービー《GeargeWethirbee》の如き、ストッサード《StOtherd》の意匠を使用しつゝあり。またロバート、ファオラー《RobertFoWler》の如きこの面影あり。ボニングトン《Bonington》キヤタモー《Cattevmo`e》よりサー、ジヨン、ギルバー卜《SimIvhnGirbert》を經てバイアム、シヨウ《ByamShoW》に至るまで、思想の繼續が確に追跡し得べきものなれども、エッチ、エス、チューク《HS.Tuke》エッガー、バンデー、《EdgerBundy》ウェーグリーン《Weguelin》スタンホープ、フオルブス《SlonhopoForbes》の原型を發見することは得て困難の事業たるべし。事實水彩畫に於ける近代の人物畫は多少の獨立創作に係るものとして取扱ふべきものにして、現代の水彩人物畫は初代の畫風に何の感化をも受けざりしなり。サージェー、デーリントン《Sirj.D.Linton》或は教授ハーコマーの手に成りたるものゝ如き、その色の強く多樣なる、油繪に彷彿たり。その作品は宛もサー、エドワード、バアンジヨンス《SirEdwardBurneJohnes》の作として遇するが如き、またハッピーア、ヘムメー《HapiesHemy》に比して精確なる特質を失ひ居るものとて、その水彩なるや油繪なるやの判別に苦しむものあり。
 斯くの如くにして水彩を使用する人物畫家は猶永く世の注意を惹くことを得べし。この籍に入るべき畫家はエー、ジー、グレゴレー《E.GGirgory》アベー、ウェーン、ライト《AbbeyWainwright》ヒュー、カーター《HnghCarter》ジェー、アール、ライド《J.R.Reid》及其他全時代の高等なる畫家等なり。偖てかゝる産物に於ても、かの風景畫に現はれたる進化の實状を表現ぜざるものなれば、望むらくは、人物畫の新状態の創始が英國水彩畫派の全體の形勢を一變せられんことを。(終り)

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