描寫の方法

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

大下藤次郎
『みづゑ』第四
明治38年10月3日

 この頃ある雜誌に日本人の繪は色が生々しいのと、又混ぜ過て其特色を失ふたのと二種あつて、眞正の活きたよい色の出てゐないのは、パレットの上で色存作らずに、畫面でやるからだといふやうな意味の事が書いてあつた。それとは少し事柄は異ふが、水彩畫を描く方法として、ある人に幾度も畫面を洗つて調子を和らげ、ある人は淡い繪具を何遍も塗つて對象と同じ色を出さんとし、又は紫色を描くに、最初に赤を塗り、次に藍を塗るといふやうな仕方で其目的を達し、或は初めより其二色をパレットの上で合せ、直ちに畫面に持ゆき、又或は假令ば橙色を作る塲合に赤と黄と交互に點若くは線を以て紙上に彩り其色を合成するのもある。屡々畫面を洗つて描く方の例と心てはターナー先生なども其一人で、水に浸して其繪の乾く迄に、他の作に筆をつけるといふ風で、一時に四枚位ひの繪を描いたといふ事である。又洗はぬ方の例としては、名は忘れたが英國の名家で、其人は寫生をするにもパレットの他に種々な色のついた紙を用意して置て、先其紙の上で充分研究して對象と同一の色彩を作り、後初めて畫面に着色するので、一度點じた色の上へは决して再び筆をつけず、恰もモサイクのそれの如く、近ついて見る時は醜いけれど、相當の距離で見れば色が活躍してゐて頗る立派であるとの事である。思ふに畫面を洗つたり幾度も色を重ねたりする時は、繪に沈靜はあれど色は其本質を失ひ、濁つて死んでしまふ。これに反してパレットの上で色を作り、一度の着色で仕上る時は、繪具の光澤も充分で鮮ではあるが、輪廊が硬くなつてしつとりとした風を失ふ恐れがある。夫故描寫の方法は、其一に偏する事なく、對象に應じて種々に工風し、變じてゆかぬばならぬ事と考へる。若し霧の朝とか、曇つた日の如く、穩やかな塲合を寫すには、洗滌若くは重潤の方法が適してゐるであらうが、烈々たる太陽の照らされてゐる景、又は華やかな夕陽とか、凡て鮮麗な境を寫すには、パレットの上で調合して着色する方がよい。乍併、洗つて描くには多大の時間を要し、隨て一枚の繪を飽きずに仕上る忍耐力がいるし、又後者は、よほど熟練した手腕でなくては、白紙に一度着色してこれに最後迄正しき調子を保たせるといふ事は出來ぬから。何れにしても初學の人には困難なる業である。夫故に、私は描寫の方法については極めて自由な考で諸君にお勤めするのにも、方式などにはあまりに重きを置かず、只其目的物を寫し得ればよいといふ程度で何ても澤山寫生を試み、最も便利な方法を自分自ら其經驗によつて發見せられん事を希望するのである。

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