富士山

ParsonsAlfred William 作者一覧へ

アルフレッド、パアソンス著 鵜澤四丁譯
『みづゑ』第四
明治38年10月3日

 富士山頂も處に依ては外壁が俄に噴火口へ直下して居る、金銘水の邊は狹い高い處があつて、兩側が削つたやうになつて居る。噴火口は四五百尺の深さで、北方は多くは峨々たる岩石で、南方劒ヶ峯の下は岩石の碎片と雪との急坂である。銀明水の近所の嶺には石で圓錐形に積上げて、その上に地藏樣が安置してある。噴火ロの周圍には粗末な道が、或處は内側に或處は外側にある。こゝは數錢を投ずると、案内して通してくれる。富士參詣者の在る時節が、富士山麓の住民の収獲時である。
 噴火口を一週し、諸處を展望して歸ると、十眸過ぎであつた。丁度吉田口からの頂上で、われ等の雇ふた人夫の笠の列を爲して來るのに逢ふた。こゝで下を見ると藍色の洞穴の中に村が見え、上り下りの參詣者が坂の遠方まで好く見える、上から見下すのであるから、大きな笠が手に杖を持つて、二本の小さな足が動いて居るやうに見えるのであつた。宿屋で別離の茶を飮んで、木の鳥居をくゞつて山を下り始めた。坂は急で、熔石や灰燼で一と足毎に注意を要する。九合目には少さな宮があつて、淺間の拜殿とよはれてゐる。八合目には可なり大きな小屋が六つか八つあつて、一小村を成して居る。天氣の好い朝には麓からよく見える。こゝで須走への道は右、われ等の行く吉田へは左に轉ずるのである。砂や灰燼の坂を滑りながら濶歩して下つた。この手段は早いけれど疲勞はする、そして不樣な倒れ方をしないやうに大股に歩かねはならぬ。道側には捨草鞋が澤山にある。日本人は旅行には必ずこれを用ゐる。自分の友人は長靴の上に履くことの出來る草鞋を横濱で求めた。富士の此邊は甚た荒凉たるもので、岩石は埓なく積重つて居り、岩石の碎片が澤山なので、植木の根どまりがないか、數千尺を下ると、道の雨側に熔石が屹立して、左側にははや植物が見へるのである。こゝには松や落葉松があるが矮かッたり、ひねくれたりして、漸くにして生を保ツてゐる。その中には花も見える。薄紅の花や、紅の薔薇、樓斗茱、橙黄色の百合等である。
 美しき火山灰の坂路を下るともなく、既や五合日、われ等はこゝで上の道へと合した。誰も今來た道は下つたものはないとの事で。五合目から下の道は、一本で直に下草の密生した藪の中へと這入るのである。でこれからは火山灰がなくなッて、樹木、花卉、神社、等が續いて居て、處々には立派な掛茶屋があつて、講中から送つた奇麗な木綿の旗が澤山に飜つて居る。森林中の道は多くは熔石で、樹木の多くは松或は樅の類で、處々に老怪稱すべきものがあつた。樹下には灌木等に花か亂れ咲いて、倒れた材木などが横たはつて居る。坂の下から登つて來る人々が、宛ら忽然として緑蔭から足下へ顯はれ出てるやうに見えた。處々に木の根で階段が出來てる處があり、また兩側か土手で、二人並んで通れる位の狹い道の處もあつた。下の方から唱歌の聲が聞えたので、土手の上へ立つて見て居ると、白木綿の服を着けた老人の參詣者か二十人、腰に鈴を振り鳴らして、前の一二人が音頭をとると後のものが、一度に唱ふ。やがて一列が上へ登り行くに從つて、かすかにかすかに聞えた歌も、遂には蜿蛇つた道に姿と共に見えず聞えずなつてしまつたのであつた。唱歌は「ロツコンショウジヨウ」で、六感を清浄にするといふ意である。六感といふのは佛説に依ると眼、耳、鼻、舌、體、心であつて、この唱歌は富士參詣者に限るのである。
 

富士中の茶屋

 二合目へ着いてこゝで緩りと休息した。長靴の中の灰燼もとり、宿の小供の持つ來た手桶で足をも洗ふた。こゝは御殿塲側の茶屋のある處とは全く趣を異にして、森から出ると、數段を下つて、小さな宮の鳥居をくぐつて、行くと可なり廣い處に茶屋がある。庭には椽薹が三つ四つ置いてあつて、其上には毛布を布いて、莚で、日蔽がしてあつた。こゝから下の方の木の枝は切り透してあつて遠方まで眺められるやうにしてある。そして數百の小旗か竹竿に翻飜として居る、この面白い景色に添ふて、道がだらだら下りに下つて行つて、密生した森林に入つて細くなつて居る道側にある草花は豐富で美麗で、それが植物帶が下るに從つて異つて行くのである。遂には森林が疎になつて、遠望が出來るやうになつて來た。道の兩側の雜草中には薄紫の草花が處々に一團を爲して點綴して居つた。馬返しからは坦々たる砥の如き大道で、吉田の松林までの間數哩に渉つて居る。長い長い花咲く草の道も、一と所途切れて居る處がある。こゝは中の茶屋といつて、三本松の目標が遠方からも見える。この周圍には石の紀念碑が澤山立つて居つて、日本字が刻んてある。宛ら墓碑のやうであるが、其實は富士登山者の數を紀念の爲に設けたのである。この灰燼の傾斜地を生長して居る樹木の種類は實に著名なものである。原野中には薄紫の草花が澤山にあるが、擢出て、高く見えるのは薄黄色の百合で、夕方物の色が目分かぬ頃には、宛ら星のやうに見える。濃紫色の鐘草や鮮紅色の鋸齒の花片の石竹等も頗る見榮がした。自分のスケッチブックには、中の茶屋から吉田までの間に見た草花が五十七種餘もある。この頃よりやゝ遲れてから、この草や花は皆刈取られて、麓へと輸んでしまふ。
 頓ては赤松並木を越え、雜木林を抜けて、長い村道を通して行くと、とある茶屋があつて、こゝにはわれ等の荷物も着いて居り、好い室もあつて、緩りと一泊することが出來た。(終り)

この記事をPDFで見る