鈴川からの富士(十月三日)


『みづゑ』第四
明治38年10月3日

 富士は此朝一點の雲もなくて、和かな秋の日光に照らされて見渡す限り皆明確に見ゆるのである。前景は三四哩に渡る平坦な稻田で、富士の裾の漸く上りになる處が村落や樹木の線で分れて居る。灌漑の便のある處には小高い塲所にも稻田がある。其上には一帶の耕作地があつて、全體が暗い緑色で處々に薄緑の地で縞を爲して居る。最初は形が明確であるが、漸々高くなるに從つて、藍緑の一團となつてしまふ。またその上に樹木のない原地で、薄い暖な色で、草や木は秋の黄や橙黄色で染なしてある。僅に藍色の蔭を投けた朝日の光が、點やうねりを爲した線の上に波紋を印して居る。この平原一帯は凡そ五干尺の高さに達して、花か非常に豐富である。またその上は森林の一帶で、やゝ低い枝にある落葉樹の暖い色が、松の暗い緑色に隈取られて居て。この森林に朝の雲が徐々に出來るのである。小さな蒸氣がぷッと一と刷毛出ると、樹木の上に漂ふて、物の一時間も過ぎると、富士の上部は見えなくなつてしまふ。富士の頂上の雪と熔石とは別として、はつきりとした溝の燈黄赤色と暗い松とは最も強い反對である。溝は俗々上る、松は消えて、初めて色が一樣となる暗い灰色に略々インヂアンレッドの色が見える、漸々赤味が消えると、灰色豐な紫色となる。山の最頂帶は眞白で、頂きの左が劍ヶ峰で、噴火ロの最高點である。其の次の平らな處か、村山道の入口である。その次に二つの偏平な曲線がある、これが地藏岳と觀音岳である。富士山全體の輪廓は左方は單一な曲線で、富士川から殆ど平行線でそれか漸々上つて行つて、頂上に行くと從て急になる。勾配の最急な處は森林帶が終つて熔石部へ移る處である。右方の輪廓は寶永山で打壊はし、平原へ來ても劍山などゝいふ山が突出して居る。續いては愛鷹山脈に流れて居る。寶永山の破裂は殆ど二世紀前で、これが爲に草木花卉も皆煙滅してしまッたとの話である。(完)

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