スケッチブック
K.S.K.
『みづゑ』第四
明治38年10月3日
○老大家某、秋の一日を三河島に三脚を据へて、連りに筆を働かしてゐた。すると近處の百姓らしい、生意氣げな若物が後に立つて見てゐたが、無遠慮にも、帽子に觸れ、脚に障り、邪魔になつて仕方がない。そこで先生、いつも旅行先で田舎者を叱り飛す調子で「お前たちにわかるものぢやないさつさと往け!」とやッつけた。處がこゝらあたりはお江戸に近く、人氣もよくない處て、アーチストを恐多いものとも思つてゐない兄さんだから堪らない。「何!此馬鹿野郎」と言ひながら畫架に向つて突進し、今しも出來かゝつた大事の大事の畫をうち破らんず見幕に、老大家も大閉口、俄に悄げて散々謝罪して、畫だけは無事に取止めたが、帽子は終に溝の中へ叩き込まれて、散々な目に逢つたとさ。