寄書 水彩畫に志せし動機と初寫生
寒葉生
『みづゑ』第四
明治38年10月3日
私は元來繪が好で、小學時代から毛筆鉛筆畫などを書て居た、學校を終へて遊學の身となり、居候生活の内、朝夕文房堂の店先に、第一に目につくのは水彩畫で有る。繪が好で有るから能く見て來ては厚紙へ極安の繪具で畫て見たが面白くない、是非水畫を學ひ度いと思ふ内東京堂で水彩畫の栞を見出し早速それに頼よつておぼつかなくも畫き初たのが明治丗六年の三月、東京をよして郷里へ引き込でから、やたらに水畫の手本を買て習つて居るうち少しは、水彩畫らしいものがかけて來た、そこで一番戸外寫生を試みんと自分作りの三脚椅子をかつぎ出して、田の中の三ツ橋と云ふ所を寫生して見たが、机の上と事かわり思ふ樣に色の配合も出來ず筆も廻わらず、いやはや畫にならばこそ、實にお可笑な物が出來た、内一番むずかしいと思つたのは、立木と橋へ日光の射した具合と田面へ寫る樹木の具合であつた