雜文


『みづゑ』第四
明治38年10月3日

▲八月の繪葉書競技會は暑中休みで在京の會員少なく、僅に太田南岳、山田全二、小林華秋の三氏に青梅よりは津雲氏、きぬた會の松田氏が見えられた。
▲出品の繪には隨分面白いのが澤山あつた。意匠の部には、跡を後と同一視したのが多く、これ等は選外としたが、中には惜しいのが澤山あつた。
▲意匠といふても、たゞ思ひつき許りでは困る。異なつた思っきなら何でもよいといふ譯ではない。其意匠は高尚てなくてはいけぬ。美化されてゐなくてはいけぬ。位置や配合にも注意されたい。此度の課題の中にも、跡といふのに、酒の跡で徳利の倒れてゐるのや、背中に大きな炙の跡などあつたが、是等は餘程うまくかゝぬと物にならぬ。
▲兼て噂のあつた平旦といふ雜誌が出た。菊地容齋論は大に見るべきものだ。暗中語は穿つてゐる。併しかゝる記事は所謂樂屋落ちで、一般讀者には何の事だかわかるまい。
▲挿繪は皆面面いが、是も一般の人に其妙味を知らせる事は難いであらうと危まれる。鹿子木氏の裏繪は思切つてやつたものではあるが、かゝる事が、美術の進歩上益あるべしとも思へぬから、他の方向の諷刺を願いたいものである。
▲日本葉書會の展覽會は、盛會のうちに閉ぢた。出品の數の多いので、只ボーとする許り。はがきのやうな細かいものは、矢張りアルバムに挿んでお座敷で見るものであると思つた。
▲泰錦堂からは印刷順序を示すべく本誌の口繪の一から三迄を出品した。これを見た人は、製版印刷の苦心を察せらるゝであらう。
▲松聲堂から、本會エハガキの第二輯を發賣した。第三輯も不日發賣するであらう。第三輯は、本會同人の丸山晩霞氏の筆で、淺間山下の四季の風物を描いたものだ。氏の筆で版になつたものは少ないから、慥に珍とすべきものである。
▲本會の鵜澤四丁氏は、豫て米國ヴアンダイク氏の繪畫鑑賞法といふ書を飜譯中であつたが、此程脱稿、世に公にせらるといふ。
▲繪畫の趣味普及に熱心なる木田寛栗氏は、曾て大日本繪畫會を起し、日本繪の講習録を世に頒たれてゐたが、今度更に洋畫講習録を出さるゝとの事だ。常に繪を見るの機會に乏しき地方人士は、これによりて益する事多からう。
▲神田駿河臺南北屋より近きに發賣さるべき花のゑはがきは、なでしこ、よめな、山茶花の三種にして大下藤次郎の筆になり明晰なる解剖圖を添へ其天然の情體を水彩の景色畫として對照の便に供してあるもので教育用及臨本を兼ねたるものである

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