寄書 水畫に志せし最初の動機

池野秋花
『みづゑ』第五 P.18
明治38年11月3日

 自分は元來沈鬱な性質で、小學時代の時なぞは學科をよそに、始終小説ばかり讀んで、餘計な涙を流した事も數へ切れぬ程であるで繪畫はと言ふと可なりだツたので、時折選抜されて展覽會に出された事もあつた。處が小學卒業後今は二年前の昔である醫學を志したので、傍ら例の小説を讀んで居ツた。今から考へて見れば可笑しかツたもので、十六歳の時の一月七日であツた。彼新小説の巻頭小説だツた島崎藤村氏作、水彩畫家を讀んで、其の主人公の性質が、自分とあんまり酷似して居るので、潜々と涙を流して巻を措く事能はなかツた。極端に言へば、其れが抑々の動機だッたので、只何となく、まるで夢みるやうに恍となツて、自分も其の主人公の樣な水彩畫家になツて一生をすごさうと思ツて、只今も猶ほ熱心に研究して居ります。
 評水彩畫家よりも御醫者さんの方がようございますよ。

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