讀者の領分


『みづゑ』第五 P.19
明治38年11月3日

■とある森の茂みで寫生をしてゐたら、傍の小川に小供が釣をしてゐたが、忽ち盆を覆すやうな雨に驚いて、狼狽したその姿はよいポンチであつた(鹿児島、畫甫)■うつくしきおのづからなる姫神のみ下にたかき秋を讃せん(晩韻生)■月刊スケツチといふ雜誌は近いうちに二度迄も體裁を更へた、あれでは他日合本の時困るから、みづゑはそのやうな事のないやうに希望する(愛讀者)◎みつゑの體裁は此儘でやるつもりです■始めて寫生に出た時は人に見られるのが耻かしいやうで、穴でもあつたら這入りたかつた、孤崖生)■1文部省中等教員圖畫試驗案内を御掲載下されたし。2圖案畫法を御掲載あらん事を乞ふ。3人物描法を示されたし(肖像畫位ひにても)4審美學の初歩を講ぜられたし。5地方に在て肉筆の參考畫を見る事を得るの便宜を開かれたし(地方獨習者の大心要)の繪葉書よりも畫面の大なる普通の水彩畫稿を募集せられたし(垂虹生)◎1、2、3、4は追々御望に應ずべし。5はよき方法あらば御示し下さい。地方によつては隨分不信用な方がありますから、制限なしに繪を御貸申ことは出來ません。6計畫中■1繪葉書競技會を毎月二三回以上開かれたし。2同時に畫學紙八ツ切位ひの水彩畫交換も願ひたい。3みづゑ紙上にハガキ集といふやうなものを設けて交換の繪ハガキ評をしたら利益が多い事でせう。諸君御賛成を(お茶の子)◎1毎月一回でさい中々忙しいのですから常分御望に應じかねます。2計畫中3本號から實行しましたからドシドシ御投書を願ひます。■白馬會は新作がいつもよりは少なく殊に水彩畫は振はない。(黒式部)■私が水彩畫を始め出したのは忘れもしない二年前の秋で、青梅の珠郎氏に勸められて上手下手は自分の腕次第と大奮發でやつて見たが、幾度となく失敗して終には失望のあまり筆を捨てた事もあつた(珠翠生)■一尺五寸の畫板を携へて此夏旅行したが、汽車の改札口を通る時閊へて大閉口であつた。吾々初學者には、普通石版三枚續き位のものに洋紙を貼つて用ふるのが一番便利だと思ふ(越後靜遠)■白馬會で小林萬吾氏の油繪を、硝子がかゝつてゐるから水繪と間違へて友人に笑はれた(うつかり坊)■1みづゑの四號は印刷も製本も駄目だ。2毎號鉛筆畫の講話を出して下さい。3來春の初刷には美術雜誌の模範となるやうなものを、出して下さい(長野QQ生◎1別に前々より劣つてゐるとも思へませんが、多くの中には不出來のもありましたらう、爾來注意致します。2只今さる人に依囑中。3御承知の通り道樂雜誌ですから、ひまと金のある時のほかは、たとへ新年でも特別の設備は出來ませんが、何か御年玉位いはつけます。■みづゑ愛讀者の大寫生會を催しては如何(牛込横好生)◎いつか實行いたしませう。

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