赤城の秋(下戸日記)

同行三人(汀鶯、華秋、黙念)
『みづゑ』第六
明治38年12月3日

 上毛赤城山上の景色は昨年來新詩社の人々の紹介によつて世に知られた。私は當時同行せられた克巳栢亭兩氏の御話で夏の美を聞く事を得たが、秋は一層よいであらうと想つたらもう腰が落着かない。獨りでさへと思つたに幸ひの連れを得て同行三人單衣でも凌がは凌ぎ得べき今日この頃を、山の紅葉は早や晩からんと促かされて、用意もそこそこに前後六日久し振で面白い旅をした。後の紀念にもと三人集つて紀行をかいたが、行を共にせぬ人に興を頒つといふ事は六つかしい。併し挿圖と比べて見たら幾分か赤城の樣子も知れやうかと爰に登載する事とした。(汀鶯)
 

 ##十月十二日華秋
 晴。用意万端よろしくあつて、急いで目白坂の汀先生のお宅へ駈け付たのが午後の二時、それから草鞋がけの旅の仕度となつて停車塲へ往たら、そこに欠呻をしながら待つてゐる人があつた
(汀)先月は兩國でさんざん待たせた、併し今日の默念は、學校が濟むと俥を宅へと急かせたが、着換に手間どりてはならじと車上で洋服のボタンを不殘外したとは滑稽、そしてこゝで一時間餘も待つたとは猶…
 三時五十分の汽車へ乘込んで赤羽で前橋行へ移つた。熊谷あたりから日が暮れて、東の窓には十五夜の月がまんまる、詰らぬ景色か急に趣のあるものと變つた
 (默)僕は豆、汀鶯は水砂糖と山の上の食物を用意して來た。華秋は前橋で何か買ふといふ、『甘いものがよい』、『晒餡を買つて汁粉を造らう』、『大賛成』、『餅を買つて徃かう』、『硬くなるだろう』、『それならリスリンをつけて置け』とは華秋の洒落で、これは確かに傑作である。
 七時半前橋へ着いた。眞闇な道を馬車の線路を傳はつてゆく事七八丁、此地第一といふ白井屋の敷居を跨いた、草鞋がけの仰々しい姿を見て『今日はどちらから』と眞面目にきくおかみさんに誰やら北海道からとは人がわるい。
(汀)『御疲れさま』と番頭の挨拶、しかしねつから御疲れ遊はさぬので一寸返辭にまごついた。
 我々にはちと過ぎた中々立派な宿である、『御風呂を』といふて女中の持つて來た袍衣は綿八丈の、裏には緋金巾一寸おつなものである。さて早速風呂へと參じたが其熱いこと熱いこと。
(汀)なんだ江戸兒の癖に、弱い音を吐き給ふな。
(默)いやほんとに熱い、汀鶯の平氣でゐるのは不思議だ、きつと痩我慢であらう。
(汀)今時湯錢が二錢だといふ大久保の奥に住んでゐる人とは違ふよ。
 湯から出て部屋を間違へ、二三室手前で障子に手をかけたが、通りかゝつた女中に教へられて無事に舞戻つた、跡から來た誰やらは、他處の座敷を大威張であけて『これは失禮』と頭を掻いたそうな。
(默)たれ知るまじと思つたに女中め内通したらしい。
 『姉さんこゝらに晒餡を賣つてゐますか、北海道産がよいが』と食事の時にきいたら、『ヘエ晒餡にもさんがつくのですか』とは大愛嬌。それから貸下駄突かけの、黒襟廣袖の袍衣に恭しく帽子を冠つて市中のそゞろあるき、早速角の乾物屋で目的物一袋を買つた、砂糖屋は二三軒先。
(汀)こゝこ珍談がある。砂糖屋の番頭晒餡の袋を見て『これは何處でお求めになりました、私共では五錢ですが大坂出來で臭いのです、東京製の大極上々はこれで一袋六錢』と出して見せたのは富士印。こうきいては臭いものは持つて徃けず今六錢で買つて來た計りのものを更に一錢つけてよいのと取換へて貰つたが、わざわざ五六軒持つて來て駄賃をとられたとは、思い切つて上出來のホンチではないか。
(默)砂糖屋でも笑つてゐたが我らも隨分可笑かつたね。
 何とでも冷かし給へ、旅の耻はかき捨といふ事を御存知ない人達だ。さて片原饅頭少々求め、汁粉の種になる餅はないかと方々たづねたが、要領を得ぬ、不馴の故でもあらうか紙屋も天麩羅屋も餅屋と思はれ、はては蒲鉾の並んでゐるのさへ切餅に見えたが終に手に入らなかつた。
 

(汀)默念は、スケッチブツクをわざわざ前橋で買つた。これも御苦勞さまだね。
(默)いよいよ餅がないので誰やら蕎麥粉を買つてゆけといふた、汁粉の蕎麥掻はまだ食つた事がない。
 それから歸つて例の仕切判をベタベタ、いろいろな趣向の繪葉書が澤山出來て、床に就たのは十二時過、今夜の夢は嘸かし山の中をかけ廻る事であらう。
 ##十三日默念
 好天氣々々、宿を出たのは八時過、途中でもろこしの粉を買つて小暮へと向つた。赤城の山はコバルトにライトレツドを混ぜたやうな色をして目の前に横はつてゐる。左は榛名、遠くは淺間、少し離れて妙義の山も見える。前橋から二里、十時前に小暮へ着いて休所で一ぷく。(オツト誰れも煙草を喫まなかつた)鳥居を潜つて、夫から三里人家なしといふ小松原、照りつけて耐らぬ。暑い處へ冬服で、其上外套と寫生箱を擔いてゐるので中々の重荷、こゝの三里は實際飽々した。
(汀)途中の草原には梅鉢艸、龍膽、松蟲草おくれ咲の石竹、蘚など咲き亂れてゐて中々美しい。小暮あたりは木も草も眞青であつたが、追々進むに連れて黄に赤に漸く秋らしくなつて來た。
(華)女中への手前といふ譯ではないが、今朝飯を少し遠慮したゝめか元氣がなく疲れが甚しい、それを忘れるために語呂合せでもと思つていろいろやつて見た、そのうち六根清淨といふ題で一こん献上、鐵幹明星などよい方で明星はこの山にも關係淺からずである。
 箕輪へあと半里といふ處に牧塲の柵があつて、一寸工風を凝した門がある。上りといふ程の傾斜でもないが、後ろを見ると上毛の大原野は眼下に視える。左右の山々は燃ゆる斗りに紅くなつてゐる。放し飼の馬や牛がそここゝに一團となつて草を喰つてゐる。まるで外國の繪を見るやうだ。
(汀)華秋は元氣消沈、箕輪の人家が直ぐ眼の先に見ゆるのにそこ迄の勇氣もなく終に辨當を出し始めた。一體旅行は先頭に立てば疲勞が少ないのに、居もしない蛇を怖がる事非常で何といふても進めない、前世は定めて蛙でゞもあつたろう。
(華)握飯二つで元氣が回復した、アヽ生れて始めてこのやうな旨い辨當を食つた。
 川を渡つて少し登ると箕輪で家が二つ三つ、馬が仔を連れて道端に遊んでゐる。休息所へ入つたが實に大變な躰裁、床には荒薦を敷いた斗り、古い家ではないが壁は凍るからとて隙間だらけの羽目板、こゝで冬を過すとは驚いたものだ。妻君は何と思つたか我々を見て袖のある着物と着替へた。
(華)こゝで丼飯の湯漬を二杯。今日の日記を書いてゐるお方は腰の握飯のほかに三杯と詰込んで、其上まだ欲しそうであつたものだから、傍に酒を飮んでゐた山の人足が、『私の辨當を用意に一つ差上ませうかといふた。
(汀)華秋が鯡のおかずに手をつけかねて、角のとれた御茶受の金米糖で飯を食ふてゐたのはよほど妙であつた。
 默念にはまだ面白い話がある。辨當の寄附を申出た人足は大洞の宿屋の風呂焚で、此夏さる華族さんが來て寫生をした毎日僅かの時間よりは筆をとらぬ、それは光線の加減であるとかいふやうな寫生畫の初歩を、此人足から事も細かに説明されて、そんな事百も承知と云はれもせず大に持餘してゐたのは頗る可笑かつた。それから話を外らす積りかなんかで、此牧塲には何頭位放してあるときいたら、二百頭も居るとの答、それで牛と馬と何方が多いかときく積りで『どつちが旨い』とやつたので、兎角食ふ方に心がとられてゐるからだと皆々大笑をした。
 まア何とでも云ふべし、誰も嘘だとはいはぬから。さて時計は二時、これから大洞迄山道二里で、少しは急だとの話にスケツチもとらずに出發した。途中の景包は實によい。小しは葉の落ちたのもあるが。染たとてこうはゆくまいと思はるゝやうに美しいのがある。道は息の切れる程の上りではない、僕の健脚は少しも疲れを覺えぬ、三人の中で一番威らからう。
(汀)再び語呂合が始まつた、曰く戀の重荷を肩にかけと、華秋直ちに應じて曰く、脚の強いを鼻にかけと。
 崩れた坂を一奮發で高原へ出た。何といふ大きな景色であらう。右には地藏山なだらかに、左は鈴ヶ峰屹として聳え、前は遠く利根上流の諸山を望むべく、廣大壯嚴、僕はまだ出逢つた事のない立派さに、草の中へ腰を下して夕風の寒いのも忘れて見惚れて仕舞つた。
(汀)實に日光の奥湯本あたりの景色に似て、それよりも猶大なるものである。
(華)好いにはよいが、この上水を一杯飮ましてくれるともつとよいのに。
 高原を横斷する事數丁、それより道は下りになる。間もなく紅葉した木の隙に水が見える。沼に添ふて十數町、苔に古びた赤城の社があつて、其傍に猪ヶ谷といふ宿屋がある。先客追立二階の入疊を占領して爰でも紅裏つきの袍衣を借り、今新規に代へた斗りの鑛泉へ入つた、アヽ愉快々々。
 

(汀)湖畔には家は只二軒あるのみ、一は青木といふて西の方水の落口の邊にある、猪ヶ谷は神官を兼ねてゐて氷の斫出もやり、主人は滿韓經營に奔走中との事、山中の宿として設備が整つてゐるが、便所に草履がないのは少々閉口。
 したゝかに夕飯を食つて、夫からまた仕切判やら神主の判、遂には御守札の判迄捺して貰つて繪葉書を拵へた。今日は七里の道を歩行たが格別足も痛まぬ、赤城の山は道こそ遠いが極めて樂なものだ。
(華)かゝる山中にも一日おきに郵便は來るとの事、冬は箕輪迄持つてゆくので、そこへは矢張隔日に來るといふ話。
 この月四日に薄氷が張つたといふ丈あつて可なり寒い、此夏の百花園では暑いといふと罰金であつたが、今度は寒いを罰金にする事にした。
(汀)床へ這入つてから宿の姉さんに、『もう一枚かけておくれ朝寒いといけないから』といふて皮切をやつた、大失策。默念が喜ぶから猶更忌々しい。
 ##十四日汀鶯
 六千餘尺の山の中にも鷄がゐて我等の心地よき眠りを覺ました。床の中で眞先に默念が寒いをやつた。これで少しは溜飮が下つた、それよりも嬉しいのは今朝の天氣で、晴々しい朝日が障子に輝いてゐる。氷のやうな水で顏を洗つて朝飯もそこそこ寫生に出掛けた。何處を見ても皆繪になる。沼に沿ひ黒檜山の麓を廻つて辨天嶋へ入つて見た。嶋は朽木を渉つてゆくのである、昔しから船を浮べぬ定めであるとの事だから、水の多い時は入る事が出來ぬであらう。中は雜林枝を交へてゐて元より道も何もない、東の岸へ出て見ると、前には駒ヶ嶽が湖を壓してゐる。紅葉は少し晩れて頂きはたゞ幹ばかり灰色に殘ってゐる。裾の方は楓、白樺、水楢など皆よい調子に色づいてゐる。山は後ろに日を負ふて眞暗で、沼の水は底も知れぬ深緑の色をして山の影を映してゐる。何といふ壯大な景色であらう。我輩は此處に陣取つて寫生する事に極めた。あとの二人は嶋を去つた。
(默)そんな處はよく素人のやりたがるものさ。僕等はもつとよい處へゆくのさ。後で一人で淋しがつてもいけないよ。森の奥から何か出て來そうだよ。
 少々寂寥を感ぜざるにもあらずであつたが我慢して寫生を始めた。やがて沼の向ふで話聲がするから振返つて見たら二人は遙かの木の蔭に三脚を裾へた樣子、こちらは日向の心地よい處であつたから、『コツチは暖かいぞ』といふてやつたら、默念は山も裂けよとの大聲で、『寒くはないぞ』と怒鳴り返した。〆たぞ。
(默)吁!やられた、實は日蔭で慄へてゐたので、暖かいと云はれて忌々しく、何の考もなくやッつけたがさて殘念な事をした。
(華)今のは大ぶ大きかつたから罰金は二三倍願ひますよ。
 夫から三四時といふものは一心不亂、筆は只面白く進むに今は淋しいも恐ろしいもない、漸く趣を捉えてさて二人の傍へ來て見れば、成程素人らしからぬ處を寫してゐたが、風で山の影が水によく映らぬとか、空の色が異つて來たとか、御自分の腕は棚へ上げて頻りに苦情をいふてゐた。
(默)やつばり汀鶯のやつた處がよかつたようだ。
 さて辨當をと華秋と共に風呂敷を解いたが、默念は早や一時間も前に濟ませたとの事、言譯に曰くさ『今朝腹工合がわるくてたツた三四杯で濟ませたから夫故御先に』と、それもよいが宿屋の姉さんの心添、茄子の糟漬三人分を一人でせしめたのには驚いた。
(默)いや全く知らなかつたのだ、僕に此包を持たせたのがよくない、つい旨かつたものだからさ失敬々々。
(華)お仲さんに云ふて又貰ふよりほか致方なし、アヽ少々殘念ではある。
 夫から沼を左に見て一週した。梢の美事に彩られてゐる林の中を、落葉踏みつゝゆく事二十丁程で水の落口があり小さな橋がかゝつてゐる。傍には青木といふ宿屋が一軒、そこから上へ道をとつて昨日の高原へ出で。こゝに鈴ク峯を寫した。日は西に、山の頂のみ僅に光を見せてゐる。蔭の黒きに草原の黄なる、其間に白樺の幹の灰色に輝ける、配合極めて雄大である。
(華)繪は眞黒になつて仕舞つたが實によい研究をしました。
 夕方宿へ歸つた。折しも山で笹熊が捕れたとの事で今夜の膳に上つた、一寸臭みはあるが不味くはない、何と思つたか默念はあまり結構そうな顔をせぬ。
(華)四足を開いて料理されてゐる處を見たからで、それでなくば…
 飯が濟むが否やいよいよ汁粉屋の開業、鍋を貸せ、七輪だ、湯だ、水だ、丼、杓子、お椀に箸とそれはそれは大騒ぎで、越後生れのお仲さんは二階を下りたり上つたり。
(默)華秋は頻りに晒餡を掻廻してゐる。汀鶯は大丼を抱へて箸でもろこしを練つてゐる。僕は紀念のスケッチを命ぜられて鉛筆をとつたが、あまりのおかしさに筆は一向進まない。おつと華秋君旨いかね、僕にも一寸お加減を見させてくれ給へ。
(華)いまに澤山あげますから、意地の穢い事を申さずさつさと描いたり描いたり。
 

 晒餡半袋、白砂糖百目、もろこし一合、どうやら御汁粉なるものが出來たが、さて箸をとつて見たら吭を鳴して待遠しがつた甲斐もなく、あまり甘過てたつた一杯でげんなり。御馳走によんだお仲さんも二杯目には少々持餘しの氣味であつた。
(華)上戸が一人居たらとても出來ぬ仕事だ殘りは明晩のお樂しみと鍋の儘床の間に安置して、此夜は晝の疲れに繪葉畫も出來ず、早くから臥床の中へもぐり込んだ。
 ##十五日華秋
 いやに冷える朝だ、露骨にいへば罰金たが今朝も床の中でやつた人がある。
(默)僕だよ、きこえたかなア
 空は曇つてゐる、物を乾すべく借りた櫓に布團を載せて巨燵を作つた、是も束の間、忽ち握飯に急ぎ立てられてはや寫生箱は肩へ上つた。
 今日は小沼ヘゆく筈で、店頭で草鞋を穿いてゐるときおかみさんが出て來ていろいろ話をした、そのうち又禁句が出た。
(汀)うるさいな、十遍なら割引との約束だ、面倒臭いアヽ寒い寒い寒い
 さてさて片意地な事ではある。昨日笹熊を捕つた猟師兼氷小屋の番人と、猟大モクなるものを案内として前の丘を上つた。八丁程で血の池といふのがある、夫を過ると小沼で、四方が漠としてゐてねつから凄くも淋しくもない。
(汀)小沼へ徃たらチウシノガランを見てゆけと宿のおかみさんが云ふた、小沼の瀧の落口が岩が逼つて銚子の口のやうだとの話たからその事をいふのであらう。沼から二十丁もあるといふので徃て見る勇氣がなかつた。
 空はどんよりと曇つて、黒檜山は霧に包まれ、冷い風がやゝ烈しく吹いてゐる、至て愼み深いそれがしも終に二度迄罰金の種を作つた。
(默)あまり何なので枯木を集めて焚火をやつた、薪は近處に澤山あるから大い奴を井樓に積んでどんどん燃した。
 兎に角三脚を据へて白樺を中心に寫生をはじめたが、繪をかくよりも火の傍に居る方が多くさつぱり捗取らぬ。
(汀)吾輩はこゝを濟ませて血の池の上に宿換、そこでも焚火をしたが、風の吹廻しで繪具は眞白な灰だらけ、少なからず閉口した。
 午後の二時と覺しきころ雨がぽつぽつやつて來た、見込がないので店を仕舞い、宿へ大急ぎ、さて是からが例のおたのしみ。(默)又ぞろ餡を増す、湯を入れる、砂糖を貰つてくる、昨夜に劣らぬ大騒ぎ。
(汀)待違しがつて煮立たゝぬうちにもろこしを入れたから堪らない、中で融けてどろどろな妙なものが出來た。
(默)牧塲に雨洒しになつてゐる牛の何かのやうだね。
 雨は烈しく霧は濃く、目前二三十間先の沼も見えぬ。窓を開けると室内の燈火で自分の影が大きく霧にうつる、何だか怖しいやうである。昨日天氣になアれと心に祈りつゝこの夜も早くから臥床に入つた。
 ##十六日默念
 雨はやんだやうだが霧は少しも晴れない。今日は湯の澤ヘ下る筈であるが此霧では殆と先が見えぬ、誠に心細い事である。さて汀鶯の週旋で昨日の猟師を案内者に頼み、銘々の荷物を負はせて八時頃出發した。
(汀)出發に際し默念と華秋は頗る罪な事をやつた。吾輩はお仲さんの爲にこゝに素つは抜をやらう。それは例のお汁粉で、昨夜の殘りがまだ椀に二杯程あつた、勘定をする時お仲さんに殘して置くといふて喜ばしたのに不拘、こそこそと二人で相談してやがて鍋を火鉢にかけ一ぜんの箸を一本宛持つて茶飲条椀ですゝり始めた、最初は少し殘すといふてゐたが、終には湯を入れて掻廻す始末、實に呆れたものだが、それよりもにこにこしながら鍋の葢をとつて失望するお仲さんの顏が見たいものだ。
(華)その上今夜の樂しみにと、殘りの晒餡ももろこしも砂糖迄もボケツトへ押込んで仕舞つたのは、我ながら餘りに未練が多過た。
 

 霧は深いがそれでも時々薄れゆきて何とも云へぬよい景色である。小沼の落口を向ふへ渡つて山の上の一筋道を辿つたが、これは躑躅ケ峯といふて中々の難處である。雨揚句の急な下り坂、馬の背といふは决して形容ではない、右も左も底知れぬ深谿で、霧の海は樹々の梢を僅かに見せるばかり、一歩を踏外せば万事休すで、さずがの僕も多少困難を感じた。
(華)多少どころか大々困難である、きけば他に馬の通る道もあるとか、このやうな處へ引廻す案内者の面憎さ、と思つた同時に先に立つてゆく案内が美事辷つて尻餅を突いた、此刹那實に何とも云へぬ愉快な氣がして思はず萬歳を高く叫んでやつた。
 (汀)案内者は大不平今に讐をとつてやるとつふやいてゐた。
 萬歳の聲に何事かと、殿に立つてゐた僕はつと前を見た拍子に足が御留守になってツルッと辷つて手を突いたが、岩の角にでも當つたか甚く腫出して大閉口。
(案内者曰く)その位いの事はあんべいよ。岩と岩と相重つて僅に通するスネスリ(婦人ならば名が違ふそうな)とよばるゝ難處も過き、大洞より一里で大山毛欅といふに着いた。
(華)家でもあつて茶でも飮めるかと思つたら、只十抱程の山毛欅の大木があるばかり。
 暫時息を入れて又も峯傳ひに一本道を辿つた。霧にまだ晴れぬが左の方は一體に牧塲で所々馬の群も見える。
 半里斗り來たら道が二つに分れた、右の方には瀧の音がきこえるに案内者は同じ道だから左へ徃けといふ。
(汀)案内者は先年巡査五六人の先導をした時、巡査がいかな難處も平氣だと自慢をしたといふてわざと途のない處へ引張廻し困らしてやったとの話、此老爺中々人のわるい奴だ。
 進む事十町あまり、案内者は連りに右への下り口を捜してゐる、先きの道であらうといふても只否と答へて、終には巡査ではないが途も何もない雜木林や、丈けにもあまる草叢の中を引摺廻され、上つたり下つたり、草の露と汗とで全身づふぬれになつて仕舞つた。
(華)萬歳の仇討でもあるまいが、返す返すも憎らしい老爺だ。どうも先の道に相違ないから、案内に構はず引返して見たら果してそれで、忽ち不動堂の前へ出た。
(汀)強情な老爺は先の道へ戻るを忌々しがつて、重い荷を負いながら猶も崖を上下してゐたが、終に我を折つて吾々の跡をついて來た。
 そこには大きな杉が二三本あつて、門を入ると見上る斗の眞直な大巖窟の中に古い堂があり、若い坊主が机を前にたゞ一人番をしてゐる。あたりは苔むして濕つぽく。青々として何となく鬼氣の逼るやうな心地がした。
(華)押かぶさつた巖と堂の家根との眞闇な間に手拭を冠つた人間が居る、極めて無氣味に思はれた、多分御籠りの人であらうと思つたら、夫は家根を直す職人であつた。
 こゝから不動の瀧迄は七八丁といふが其實三丁ばかり瀧は高さ十六丈餘、優美な形をしてゐる。前の大岩の上には石の不動尊が立つてゐる。紅葉は今が三分、盛りにはまだ間があるらしい。一寸スケッチして元へ戻り、大通龍神社の御祀所兼休息所で豆腐汁の中食をやつた。
 

(華)團爐裏の中に入つて濕れた脚絆を乾しながら箸をとつたが中々風流なものであつた、併し天井から下つてゐるランプブラツク的の煤が落ちて來はせぬかといさゝか心許なく思つた。
(汀)煤は落ちなかつたが、ひたしものゝ中に鼠の糞が一つあつた。
 湯の澤迄は十町、大通龍神社の奥の院迄四丁は眞の胸突で、足塲の木の根は三尺以上も高いのがあつて大苦しみである。
(汀)昔物語にある赤城の天狗といふのはこゝに住んてゐたのであらう。
 上り切ると間もなく下りで、湯の澤の煙も見える。湯の宿は僅かに四軒、我等は新東屋といふのに草鞋を脱いた。

 さて奥まつた二階の部屋へ通されて袍衣に着かへ、霧で寫生が出來ぬから仕切判の繪ハガキ製造をやつた。
(汀)新詩社の人々もこゝに一泊されたそうで、古い宿帳にはなつかしい友の名が誌されてあつた。
 そのうちに新に酌み込んだ湯も沸いた、炭酸鑛泉て瀧のやうに落ちてゐて人肌位ひの温かさがある。夕飯は鰍と片葉茸の御汁に、眞黒な玉子燒、その傍に添へてあつた磨生姜を玉子と間違みものへて頬張つた華秋の樣子は中々見物であつた。
(華)山の中の玉子燒はこんな味がするのかと最初は一寸驚いた。
 繪葉書に耽つて時を覺えなかつたが十一時頃でゝもあつたろう、便所へ往た華秋が顔の色を變へて『危險々々』と云ひながら歸つて來た。
(華)ほんとに驚きました、今下から階子を上つた來ると、灯が暗いのでよくは分らなかつたが、印半纏を着た二人の男が非常に狼狽して掾側から逃出し、一人は垣を越えて隣りの家へ、一人は欄干を飛越して向ふの崖へ匿れた、何でも泥棒に相違なし、あゝ危險々々
 それは一大事、山中でも油斷はならぬと、不取敢隣室の客に注意する、もう寝て仕舞つた番頭を招んで警戒した。處が番公暫時首を傾けてゐたが、『ハ丶ア分りました、それは此先に居る石切の職人共で、女の泊り客の處へ這込だのです、御心配には及びません』と、さてはそうかと少しは安心したが、何となく無氣味に思はれた、それにしても華秋はとんだ罪つくりをやつたものだ。
(汀)華秋はよほど怖しかつたものと見えて、寢る時は入口の襖に三脚や傘で心張をする、其上今夜はこゝへ寢かして下さいと、三人の眞中の床へ入つた。可愛らしい坊やではないか。
 ##十七日汀鶯
 何事もなくて夜は明けた。窓を開けば山の上には二十日程の有明月が研出されたやうに照らしてゐて、頂上にもまだ日はさゝぬ。曉の風冷やかに何とも云へぬよい心地である。澤に下りて清き流れに顔を洗ひ、さて仕度もそこそこ草鞋をかへて出發した。
(華〕昨夜の曲者は夜中再擧を圖つて美事跳付られたそうな、女客は恐ろしがつて今日出發との話である。
(默)此事件が氣にかゝるかして、華秋は今朝よほと盆鎗してゐた。宿を出てから一丁も往て急に引返したから、何かと思つたら三脚を忘れたのであつた。
 一里程下つて右に溪流をわたり、二十丁程で赤城社の前へ出た。此邊は見るべき景色もなく、たゞ野菊梅鉢草なとが美しく咲いてゐるばかリ。
(默)前にゆく馬方に『藥は入らぬか』と華秋がきいたら、吾々を眞個の藥屋と思つたか『ナニ入りません』と眞面目に氣の毒そうに斷つてゐた。
 大胡の手前で茶店と思つて酒屋へ入つた、『宅では茶はありません』と不景氣な若者に斷はられ、『おちやけ斗りですか』と口を滑らせたのは默念である。
 大胡は折から市日でもあるか一寸賑やかであつた。上泉で晝休み、こゝで辨當を開いたが、湯の澤の番公氣を利した積りで、むすびの中へ佃煮を握り込んだため生臭くつて、ロへ入れられぬ詮方なしに少し餡の味の變つた團子を食つて晝を濟ませた。汽車の時間に間のあるため三住で赤城と榛名のスケッチをやつた。街道筋で見物も多く中々うるさい。
 (默)僕の繪は山火事の如く、華秋の空は夕陽になつた。汀鶯ば二枚かくといふて膝の上で水貼をやつてゐたが、足も恐らく出來損いであらう。
 前橋四時發の汽車に乘つた。吾等の踏破した赤城山は、夕暮の色に籠められて漸く朧になつてゆく。鮮に見ゆるは内の空なる霄の明星、深谷あたりで日は全く暮れた。
 (華)大宮でいろいろ御馳走を買つた。それは寒いの罰金を出し合つたので、汀鶯先生大枚三十錢は近頃珍らしい事である。
 華秋とは赤羽に、默念とは目白で別れて、家へ歸つたのが夜の九時、こゝに目出度赤城の旅行を終つたのである。(完)

この記事をPDFで見る