本號の記事について


『みづゑ』第六
明治38年12月3日

○本號は赤城の記事にて紙面を塞ぎ、所謂同行三人の雜誌と相成、眞に申譯無之候。其代り次號には有益なる記事澤山出づべく候。
○丸山氏の『日本と水彩畫』といへる大氣焔石井氏の『我が水繪』の續稿、眞野氏の寫生用遠近法、榕村主人の『色彩應用論天空の描法』等次號の重なる記事に候。
○挿入の彩畫は、水彩畫の栞及階梯にて御馴染のPowel氏の海の圖、丸山氏の風景及お年玉として他に一赦の精巧石版刷を出す筈に候。
○鉛筆畫初歩は近きより出すべく侯。肖像畫法は相談中なるが、多分登載する事に可相成候。
○同好畫會の催にかゝるスケッチ、ヱハガキ展覽會に對する本會主任の所見は、記事の都合にて次號に相廻し申候。
○讀者よりの質問は。即答を要せらるゝ爲め、是迄本誌に掲載せざりしが、一般に利益あるものは爾來公に致すべく候。
○御寄稿は隨分澤山集まり候に付來年三四月頃臨時増刊を出すべく候間益々奮て御投書下され度候。猶繪畫は其内新に募集可致候。
○會員組織の事について御書面給りし諸君へ御禮申上候。少數にても思想の固き人々と結合致度希望につき、御意見ある方は何卒御洩し下され度候。

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