寄書 畫を學びて得たる顕著なる利益

蘆水生
『みづゑ』第六
明治38年12月3日

 僕が畫を學び始めてから、得たる利益と云ふものは、澤山あります、けれども、それは恐く僕一人ではない、誰でも、畫を學ぶものゝ、必らず得らるる利益であるだろうと思ふから、細かな事は話さずに、こゝには、其の影響を他に及ぼしたと云ふ事を一寸申して見やうと思ひます。
 それは即ち家庭に美的趣味を與へたと云ふ事です、かく申上げると、何だか家庭殘らすが美術家にでもなつたかと思ふかも知れませんが、决してそんな大袈裟な事ではない、只比較的畫を見る腦頭が出來たかと云ふ位なのです。一躰僕は、寫生をして歸ると其の畫を二三日間位は必らず床の間に掲げて置くを例とするのです、所でチョイチョイ、暇ある毎に見る、スルト、追々缺點の有る所が發見せられて、再び同一の失敗を取らぬ樣に工夫する事か出來て大に都合がよいだからいつもそうする、從がつて、無關係な家族のもの迄が、常に繪を見る事が出來て知らず知らずの内に繪と云ふものゝ觀念を彼等の頭に注ぎ込んだのでありました。最も時によると、是れは何所の森である、彼所は何々の村である、など申して、説明をしてやることもあつたのですが、かういう風で、遂には彼等の目が進んで來て、折々は、批評などをやらかすものが出て出ました、そこで、近頃では一層其趣味を感じて來たと見えて僕が寫生から歸るが否や、直樣集つて來て、今日は何處をかいて來たのですなど云ひ合ひて一刻も早く作品を見たいと云ふ念が顯はれ頗る樂しくなつて來ました、夫故此期を外さず旨く其趣味を家庭に於ての種々の方面に利用したら、將來望あるホームが作られ樣かと思ふのであります、勿論僕等の腕前では到底旨くは行くまいが、マーやつて見る積りなのです。
 以上が僕に取つて畫を學ひて得たる一大利益なのであります。

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