スケッチ、エハガキ展覽會を觀て

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

大下藤次郎
『みづゑ』第七 P.11
明治39年1月3日

△この程上野に催された同好畫會のスケツチ、ヱハガキ展覽會といふのは、東京神奈川各中學生の成績品及び素人團體の作品を集めたもので、鉛筆水彩油繪を重とし、繪葉書を合して約千點第一回としては好成績であつた。
 

第十八回一等小林殊郎

△就中群を抜いてゐたのは慶應のパレツトクラブ、獨乙協會の紫水會、紫瀾會(これは專門家も交つてゐた)金翅會、高商の彩友會(圖案的エハガキに於て秀てゐた)花蝶會、麻布中學、府立第一、第四などてある。△商工中學の鉛筆畫は極めて正確で教育といふ方面から見たら申分がない、併し彩畫に移つてからも同じ筆法でゆくために器械的な無趣味なもの計り出來るのは遣憾である。
△婦人團體の出品としては女子美術學校生徒の油繪が五六點、これは或る意味でいへば專門家でありながら其作には一も見るべきものがなかった。是等は下級の人達の作かは知らぬが女子美術の代表としては失望せざるを得ない。
△私は雨降りの薄暗い日に、只一時間程見て廻つた丈けであるゆへ、一の團體一の作者について詳細なる批評を試むる事は出來ぬ、併し全體を通觀して多少感した事もあるから今其所感を有の儘に話して見やう。
△最初に斷つて置くが、私の云ふ事は甚だ無遠慮であるため折角熱心にやつて居らるゝ諸君の御氣に障るかも知れぬ、併し曲筆は出來ぬから諸君は私の文を見ずしで單に其意を探つて呉れゝばよい。次に其作の好い方面は大概自分で知つて居らるゝ筈であるから爰には短所と思はるゝ點を指摘するのである。
△先第一に感じたのは、場中で少し目欲しい作の多くは皆一種の型に入つてゐて筆者其人の特色の少しも見えぬ事である十人百人皆同一嗜好といふ筈はない、密畫に適するのもあらう、粗畫に得意なものもあらう、暖色を好むもの寒色を喜ぶもの、淡彩に濃彩にそれぞれ好みに相遠がなければならぬ。
△然るに此型に入つた陰氣な(雨の日に見た爲めかも知れぬが)不自然な名は異つてゐながら恰も一人で描いたかと思はるゝやうな繪の多いのは、由來其畫風が眞似の爲易い故でもあらうが、一人がよいといふと誰も彼も其風になづみ、終には水彩畫はこのやうに描くものと極めて仕舞ふて、知らず知らず自己の本領を失ふたのであらう。
△勿論或程度迄は白分よりも巧なる人の長所をとつて模傲するのもよからうが、苟も公開の席に陳列する和の技倆ある人達が揃ひも揃つて同し弊風を示してゐるのは見苦しいではないか。
△若しこのやうな有様を續けてゆくと、常にお手本になつた人の畫風の變る度し白分も變へねばならぬ、いつ迄たつても其人以上の作の出來やう譯がない。故に私は此人達に向つて新に研究の仕直しを切望する。それは色眼鏡を外して眞面目に自然を見直し給へといふのである。
△次に曰ひたひのは靜物寫生の描き方である。菓物や小道具なとの配置はそれ巧ではあるか後部の色や調子は皆一樣で暗く深く出來てゐる、成程斯ふすれば物を浮かして見せるには都合はよいが、寫すべきものより明るいバックでも其物を優に現出させる事も出來るし又奥深く沈めさせる事も出來やう。靜物を描くに後部は必ず暗くすべきものであると極めて仕舞ふては困る。是から穩やかな和かい調子でやつて見ては如何。
△靜物寫生で今一つ不足に思ふのは、多くの繪の中には林檎も梨もタオルも小刀も同一筆鋒で畫くために一切同し物質に見える。是は觀察の不充分な故でもあるが、詰りはある型に入つてゐるため物に應じて筆致を變へてゆくといふ臨機の所置を悟り得ぬのであらう。
 ム最後に此會の作者に對する私の希望を申せば、何卒飽迄素人といふ主張を固守して、專門家の企て及ばぬものを年々見せて貰い度のである。專門家の眞似をした作は廢しにして別途の方面へ希望多き道を拓いて貰いたいのである。
△此會には貿際生中の專門家を凌ぐの技倆ある作家も少くないが、そのやうな人達は白馬會へなり大平洋畫會へなり堂々と出品した方がよい。そして此會は何處迄も素人としての特色を發輝してゆかれたい。
△專門家となると自分で放奔の筆を揮ひたくとも又變つた描法を試みたく思つても憖じ畫論や法則に邪魔されて思ふ存分手腕を伸せぬ事がないでもない。
△此點である。素人畫家には何の遠慮もない、どのやうな物を描いてもよい、自巳の感じた處を現はす爲めには法に外れて居つても構はず自由な仕事が出來るのである。
 

第十八回一等野口六三

△このやうにして出來たものゝ多くは定めて蕪雜なものもあらうが、中には必ず奇想天外的のものもあらうかくてこそ專門家の學んで得べからざる點に達し得ベく、却て專門家に新しき刺激を與へ、兎角單調に流れんとする吾洋畫界の風潮をして複雜多樣ならしむる事が出來るのである。
△要するに以上の言は角を撓めんとして牛を殺すてふ俚言の如く稍極端に走りし感あれど兎に角人眞似は程々にして、各自の特色を顧慮逡巡する事なく充分發揚して、もつと天眞瀾漫たる作の多くを出品せられん事を望むのである。

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