寫生畫『雪の朝』説明
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
"T,O,生"
『みづゑ』第八
明治39年2月3日
時は二月の末、場所は多摩川のほとリ千ケ瀬といふ村である。宵より降出せし雪の、朝は晴れて地に積ること三四寸、急ぎ寫生箱肩にして飛出したが、豫想してゐた場所は一も面白くなく、畑を越へ田の畔を傳ひて漸く得たのは此圖である。形にも色にも統一はないが、元よりスタデーに過ぎぬから唯有の儘を寫生して置た。
日は漸く高く華やかな光線が射してゐたが、夫でも冷たい感は一體に行渡つてゐた。寫生の仕方は例の通り、明るい色で(白く見えたる雪の上までも)下塗して、空より遠景中景前景といふ順序で、當時用ひた色は、下塗にクリムソンレーキ、ネプルスヱロー。空にコバルトブルー。同じく地平線に近くネプルスヱロー、ヴェルミリオン。遠景の森には僅かのホワイトにインヂゴー。中景の木にはインヂゴー、エローオークル、ウォルトラマリン。杉の林には夫等の彩料のほかライトレッド、バアントシンナ。雲の陰はコバルト、ニユートラルチント。家の明るき色はバアントシンナ。畑の緑はレモンヱローにコバルト。田の水ははインヂゴー、ニユートラルチント、ヴェルミリオンの類で、暗き蔭は慨してインヂアンレヅドにウォルトラマリンを用ひた。
さて雪景を寫すにつき注意すべき事は、先づ雪は白いものであるといふ觀念を去て虚心に觀察せねばならぬ。他の物體の色と比較して見れば眞の白い處は極めて僅少で、他は皆幾分か宛雜多な色を持つてゐる、殊に森の下や寡の陰などにあるものは白く見えても其實甚しく暗いものである。木の枝に積れる雪を下から見上れば、曇った空よりも暗く見えるもので、又朝の太陽が直射すれば稍紅色に見え、夕には橙色若くは黄色に見える。影は概して暗き空色の鼠で、それも反射の情態で種々變化がある。若し雪は白いものであると思つて、景色畫に大切なる光線の色や反射の理を無視して筆を執つたなら、其繪には奥行もなければ調子も合はず、到底自然の感を現はす事が出來ぬであらう。
枝にある雪は風の爲めに落ち易いものであるから、最初に輸廓を正しく寫して置かねばならぬ。又雪の積れる枝と枝との間に空の透けて見ゆるを描き出す事は困難であるが、ホワイトを用ひずに注意して叮嚀に描くのである。パレツトにある同一の色を塗つても、第一筆と第二筆とでは時間の爲めに濃淡が出來る、このやうな場合には後に補修するより他に道はない、それは清い水と柔かな刷毛で洗って、極淡い色を幾度も塗るか、又は細い筆で線を畫き、或は尖で點をうつて色調を合せるのである。
注意
石版にてはコバルトの空暗きに過ぎ、遠景にインヂゴーの色を缺き、家根は固く總じて美しくなり過たり。