デビツトコツクスの傳記及作品

青人
『みづゑ』第九 P.14
明治39年3月3日

 コツクス氏は五十年間非常なる節儉にて蓄積したる金額は一万二千ポンドの小財産なりき。今日英國が産出したる小數の大美術家の成功に依りて得たる金額とコツクスのとを合せ考ふるときは、誠に僅少なるものたるなり。氏は最良好と認めたる白己の繪が何時も何時も賣れずして展覽會の壁に掛かれるを見て失望したりき。これに反して氏より劣等の仝時代の畫家の繪が續々賣れ行くなりける。氏の如き柔和にして冷靜なる人すらも、斯くまで入魂の作に對して、世人が盲目なるには、憤慨せざらんとするも得べからざりしてふ噂ありき。さわれ氏が死後の名聾の碩甚たるは、世人が氏の生前に蒙らしめたる不徳を償ふて餘あるべし。實に氏が眞價を世に知らるゝに到りしは、殆ど半世紀近くの歳月を費せしなりける。
 コツクスは極狹隘なる制限内に跼蹐し居たる作家とは、自ら撰を異にして、絶えず展覽會に出品したる多産の作家なりき。美術上の責任に就ては、廣き意見を持したる人にて、絶對的に廣き趣味を有したりき。氏が傳記の叙述者たる、ウィリアム、ホール曰く、『コツクスは英國風景畫の大家として、ターナーに接近せずして獨行しぬ。箕に或點はターナーに卓越しぬ。氏が技術の種類は驚くべきものなり。その時代に於ても、畫題に於ても、又畫風に於ても然り。五十有餘年間、氏は手法の熟練なる抜群の出精なる畫家なりき。如何なるものと雖も、氏が藥籠中のものならざりしはなかりき。風景、人物、建物、動物、魚類、菓物、乃至活物、花卉等、自然界の最も普通なる最も卑近なるものまでも描きぬ。氏が巧妙なる漸滅法及最も壮嚴なる畫面は、氏の容易なる力ある筆に依て表情せられつゝあるなり。』かゝる畫家が死後十二年にして、其の作品の價値が生前よりも二百倍の高きに到れり。氏は多くは貧困に苦んで餘儀なくも日を送りて、最良好の年月を繪畫教授の如き職業に費しけるなり。まこと英國の十九世紀の先輩の傳記は悲慘の光景を反射しつゝあり。されど遙に今日に於てこれを明白にするは、吾人の徳義にあらずや。かの自稱美術愛玩者は價値なき畫家に懇情を濫費して、眞正の大家に對しては、藪睨みを爲しつゝあるは、頗る奇怪なる癖なりといふべし。かゝる手合は時の流行に雷同して、道理をも考へず、盲從するものにて、天才等の見分の附くべき筈無論なきなり。其の故は不自然の上に基礎を置きて、一般の無智の輩に依て存在を續けつゝある時樣に從ふことは、天才のあまりに單獨に過ぎて、爲し得ざる處なればなり。これ頓て確にコツクスの場合といふべし。實に成功の頂點に達したる氏を見てすらも、世人は絶對的に看過し了りて、死後數年にして漸く氏の作品を喧噪を極めて激賞するに至れるなりけり。(完)

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