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『みづゑ』第九 P.17
明治39年3月3日

□河合新藏氏は今回入社致され爾後本誌に對し大に盡力致さるべく候
□次號の口繪は河合氏執筆致さるべく候
□會員組織の會則は同人何れも多忙の爲め未だ合議の機無之延引致候今少し御待下され度候
□本號はいさゝか紙數を増加致置候漸次擴張して終には三十二頁位迄に致す考に候但記事の都合にょり毎號多少の増減は可有之豫め御承知置被下度候
□臨時増刊は四月中旬發行の豫定
 私は毎月上半月間を修養の雌に宛て居る爲め自然旅行等にて不粗の都多く隨て其の間の御來信に對しては御返事延引可致候間御含み置被下度候大下藤次郎
□松山筒井氏へ 賣魚婦の風俗面白く拜見致候肩のほとりに多少批難有之候へ共腰の据り工合など重きものを捧げる體度として極めて自然に見受申候

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