彩光會 舊パシフィック會

彩光會委員
『みづゑ』第九 P.20
明治39年3月3日

 『みづゑ』第六に掲載せられたる、本會は、會員左の如く、増加したり、即ち、林博、濱田文太郎、長谷友次郎、徳永三都夫、高橋廣一、村田俊吉六名にして、總會員數十三名なり。
 第壹回展覽會十一月第二土曜日に開會出品繪畫二十二點投票の結果武田筆珍鎭守壹等に當撰したり而して本會名稱を『彩光會と改めたり右繪畫は雜誌に綴り『パシフイツク』と名けたり
 第貳回展覽會十二月第二土曜日に開會、出品繪畫二十四點投票の結果宮田筆磯邊の朝壹等に當撰せり右繪★は例により雜誌に綴り之に『冬枯』と名稱を下せり
 第參回展覽會一月二十日開會出品數四十八點、壹等は川原筆激浪右雜誌は體裁を改め『若水』と稍す
 第四回展覽會二月十日開會、出品數二十九點當選繪は壹等河原筆多摩川の夕終つて繪葉書即席製造交換をなして散會せり(彩光會委員報告)

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