花の水彩(一)

丸山晩霞マルヤマバンカ(1867-1942) 作者一覧へ

丸山晩霞
『みづゑ』第十
明治39年4月3日

 自然界に於ける總ての其一を採りて、之を仔細に檢すれば、靈妙なる造化の手跡に驚かざるを得ないのである。而して、造化は其美工に施すに、麗はしき色彩を以てす。自然は純潔高尚にして無邪氣なり、その華麗なるは絶對的である。自然は神にして慈母の如く、我等を絶對に愛して居る。されど人々の多くは、かくも美麗にして、惠み深き自然を知らぬのである。自然を知らざる人は、如何に物質的の美を纒ひ、如何に物質に富むとも、其の人は下賤である。自然を知り自然に相親み、それに依て娯樂を求むるものは、物質的如何に貧しくとも、精神は常に富裕にして高尚である。人は物質的美を知りて、精神的美を知らざるもの多し、物質的娯樂を知りて精神的娯樂を解せざるもの又至て多し、物質的娯樂は盡る時あるも、精神的娯樂は無盡なり。自然を知らざる彼等こそ、實に哀む可き極みである。ソロモンの榮華の極、尚且つ野末一ともとの百合花だにも及ばず。と若し夫れ高尚優美純潔なる娯樂を求めんか、宜しく自然を知り、自然に親しみ、自然の妙味を解すべきなり。自然に近寄る方法は數あり、文學美術はその主なるものである。音は自然を知らざる人々に向つて繪筆を強ゆ、畫は自然に親しむ媒介にして、これに因りてその一と本の花だに妙味を解し得ば、それぞ即ら天國の門戸を開らく鍵となるのである。我等は世人に向つて、この貴き鍵を與へんと欲す。聊か微意を毎號に草して、水彩畫の發展を計り、その門戸を展らきて、諸君と共に天國を逍遙したきものである。
 水彩畫を專門として深く學ぶは、これ程無圖かしきものは他にあるまいと思ふ。而して業を持てる人々が、業務の傍ら高尚優美なる娯樂を求めんが爲めに學ぶは、これ程入り易きものはあるまいと思ふ。最初は可然師に頼りて運筆及び、着彩の方法と物の形を正格に描く透視畫法を學べばそれにてよし、その後は自然といふ活々とした師が至ろ所にある、それに就て學ぶうちには、自然は漸く妙技を教へ、然して無窮の快感を授けてくれるのである。こゝに至りてその目的は達したといふものである。人間が神の如き自然に近寄り、それに親しみ、或るときは師とし或るときは友として、それに慰安を求め快感を求むる事が出來れば、之れ以上の樂みはあるまいと思ふ。されど人には、各々異れる性情のあるありて、先天的に繪畫を好尚するもものあり、又更に好まざるものもある。よし好尚せざるものにても、天國の門戸を開らくべき鍵を求めばやといふ志だにあらば、畫を學ぶは易々たる事と思ふ。吾は甞て某大林區署の官吏と識あり、其人と語る、談偶々風景に及ぶ、彼の語るを聞くに、某農學校を卒業して大林區署の吏となり、日々深山幽谷を逍遙す、其當時にありては、如何にも山住みの苦しく、山中を嫌忌して、里懐かしく都慕はしく、職を辭さんと迄考へし事幾度かありし、されど或る情實の爲め職を辭す事能はず、嫌忌を忍び、月は年とかはりて、漸々山野に親しむ如くなりて、今は深山幽谷に趣味を覺え、最初嫌忌の感情を起せしものは、悉く妙味あるものと化して、白雲深き處に子規を開き、溪谷に亂るゝ山櫻の美しく、寒月の林外に猛狼の鳴くのも、一種詩的の感を充たして迎ふる樣になりき。と語られた、吾はこの談話を面白く聞いたのである、畫を學ぶ上にも適合するので、畫心なき人も暫く嫌忌だに忍びしなら、終には自然と親しみ、同時に其の形も自由に描ける樣になり、無量の快樂を求むる蔀が出來る。故に吾は如可なる人にも勸むるのである。物の形を描くには線を用ゆ、線には直線と曲線、共の他には何もなく、只直曲線を配合さへすれば、物の形が現出する、文字にて自分の姓名を書く事の出來るものなら、畫の描けないといふ事がない筈である。着彩とても、西洋繪具には種々の色あれば、自然が赤ならば赤、青なれば青色を着彩すればよいのである。畫を學ぶといふ上に於て、缺くべからざるものは透視畫法である、これは一の理に基くのである故に、物の形を寫生するよりは易々たるものである。されど初學者には聊か煩はしき故、この畫法をあまり要さゞる、花等より學び始むる方がよからふと思ふ。然して吾は花を至て好愛し、花に就ては大に研究したのである。故に吾は不文拙劣をも顧みず、回を續けて花に係る水彩の感、及び描寫法を草するのである。

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