日本の春(二)

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アルフレッド、パーソンス
『みづゑ』第十
明治39年4月3日

 四月の二十五日は櫻が滿開であった、われは奈良を去つて吉野へと向つた。こゝはヤマトのオーミネの麓の村で、數百年來櫻樹で有名な處である。花盛りの十日許は觀客が群集するのである。われの行つた時は既に業に爛漫の頃を過ぎて居つた。場所が海を抜いて高い處であるから奈良よりは遅いと想像して居つたのに、既に如斯であった。しかし奈良のとは櫻の種類を異にして居るのである。三日見ぬ間に雨は風は用捨なく薄紅の花片を吹落して地上を覆ふて仕舞ふ。で殘花僅に老木の梢にかゝるのみであるのだ。僥倖にも山中には彼方の木蔭此方の隅に花猶梢に亂咲くのもあつたのである。此頃の日本の村は畫材豐富で仇によぎる處は少しもない。吉野の櫻は單瓣で色は薄紅である。此種類で純白なのもある、それは歐洲の種類に似て居る。兩種共に野生のものであるが、栽培者が種々な種類を作つて居る。或ものは八重、一重、衷たは枝垂、這櫻等がある。色も種々變つたものがある、白から薄紅、中には八重の蒼黄の色で外花片が薄紅のがある。
 つい此頃まで街の門であつた唐銅の大鳥居があつたが、暴風の爲めに吹倒されたといふ、この側にタツミヤといふ家があって、母屋を離れた處に室があるので、早速こゝを借りる事として、閑寂の夜を夢安らかに味ふ事とした。離れた室は甚だ不便なもので、一寸と雨の夜など入浴しての歸りにこまる。しかし一夜宿を借る旅人にはかゝる不便を忍んでも、一夜を夢靜に眠ることが出來た方が可いのであらう。日本の旅人は其日の旅を午後五時頃に了ると、先づ茶を呑んで、埃のある旅衣を脱棄てゝ、さつぱりした着物を着換える、されは何處の茶屋でも極つて準備してある寢衣である。それから殆と沸騰點に近い湯に這入つて、夕餉をすますと、夜半まで煙草を吹かしながら坐談に更かして、さて寢に就き朝の五時まで鼾をかくのである。がたんがたんと雨戸を繰る音がすると、齒磨きや舌を掻く巧妙な仕事が初まる。ゲーゲーガラガラする音が宛ら暴風雨に遇ふた船客が船醉の爲めに吐くやうである。夫故六時七時頃までは上草履の明く暇はないのである。晝の内は甚だ寂蓼なもので、主人が帳場の仕事をし、少女は手拭を被つて、裾を端折つて帶へはさみ袂を後へくゝりつけて、丸い鳶色の腕や脚を顯はして、晩の泊客の準備とて、掃いたり拭つたりして室を掃除する。室には薄い滑りの附いた境界物(譯者日障子式襖をいふ)がある、上の方は木の欄間があつて、空氣の流通もよし、隣の話も可く聞える。われの知れる限りでは、日本の茶屋には秘密などゝいふ事には注意してないのである。夜中新鮮の空氣を外部から得やうとするには甚だ困難である。氣候の暑い時は戸締りが固く丸で箱の樣なので、警察法に違反しても常に注意して透かすやうにして居た。戸締があつても夜番の聲は聞える、夜番は夜中撃柝を打つて巡つて歩くのである。こゝで一週間餘天候の許す限り寫生をして暮した。夜は國語を覺えたり、家族や家婢などゝ豆を賭けて遊ふと、いつも破産して、手を拍つて笑ふ、また寄進者者があつて初めるといふ騒であつた。
 吉野に於ける物は物として櫻の香のないものはない。茶と共に持つて來る紅白の菓子は形が櫻の花である。軒に下げてある提灯にも櫻が描いてある。店頭には茶にする爲の櫻の花の漬けたのを賣て居る。茶屋や寺院には旅人の爲めに土地の地圖がある。大きな紙へ粗い色刷にして地圖やら繪やら分らぬもので櫻の木は紅で描いてある。櫻はたゞ美麗しさを見るに止つて、實を採る爲でない。日本の古諺にも、「花は櫻に人は武士といふのがある。兎角祭日其の他に郊外を散策し、名所古跡を訪ね、四季折々の花を見るといふのは、眞の文明の風俗の高流に位することを示すもので、これが單に風俗としても、これを創造し、固守するといふのは實に奥床しい事である。
 吉野の村道は小立を廻て、數多の寺院や、小屋を通り越して、オーミネ山へ登る石の高い山道になるのである。森への道はこの地方の人々が絶えず通行して居る。自分が路傍に寫生をして居ると、老若男女が木や炭を背負ふて來る。家の前には木が並べて干してあるが、日本の霧深い處で何うして、乾くか分らぬのである。で景色も霧のない事は殆ど稀で宛も日本畫を見るの感がある。廣い白い野山があつて其の頂や松の木の緑が互々に明確な線で顯はれて居る。
 

梅一等飛鳥井信

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