水彩畫講習所の半日

新參生
『みづゑ』第十
明治39年4月3日

 九時十時ストーヴは盛んに燃へてゐる。ストーヴの前には幼稚園の生徒が腰をかける可愛らしい椅子が二三脚ある。こちらの柱には新らしい石膏が懸つてゐる。向ふの★間には幼稚生の子になつた市松や綱代形の糊細工が貼つてある。二三人講習生が見えた。皆ストーヴの前へたかる。南の窓に日が射して來た。時計は今九時をうとうとしてゐる。やがて先生が見えられた。これから授業が始まるのである。
 講習生も追々繰込んで來る。四列の長椅子は餘席がなくなつた。入口の方は婦人連、奥の方は男子が占領してゐる。
 銘々臨本を渡された。鉛筆の連中はホースターの花や船をやつてゐる。線が正しいのでむつかしいと小聲で言ふてゐるのもある。水彩の方ではセピヤの手本を寫してゐる。時々鉛筆を削る音がする。
 十時十一時「この線が曲つてゐますよ」。「バアントシンナを最少し入れたらこの色が出るでせう」。折々先生の聲がきこえる。皆一生懸命である。護謨でゴシゴシやつてゐるもの。色が出合はぬといふてヂレてゐるもの。畫を濕し過てストーヴへ乾かしにゆくものもある。玄關で取次の聲がする、入學したいといふので先生は「こちらへお出なさい」と言はれる。畫板や鉛筆の注意がある、文房堂の割引券を貰つて「此次から參ります」といふて歸る。
 寫生箱を肩にした若い人が來る。北の窓の方で静物寫生をやるので、幼稚生の小さな椅子へ腰をかけて何か寫し始めた。
 十一時十二時婦人連は極めて眞面目にやつてゐる。男の方には差向いでヒソヒソ話をするものもあるが、概して静粛なものである。
 先生は絶えず廻つて注意をされる。後ろへ來たなと思ふと頼母しいやうにもあるが、又何か言はれはしまいかと大に氣遣ひなものである。床へ鉛筆の墮ちた音がする。
 戸外で寫生をやつてゐた一人か繪を見せに來る。先生も戸外へゆかれる。「空が明る過る」といふ聲がきこえる。
 そろそろ歸り仕度をする人がある。窓の外へ水を捨てる人もある。十二時が鳴る。寫生の人は未だ出來ぬらしい。仕舞つた人は後ろに立つて感心して見てゐる。
 自分の家で描いた繪を、モジモジしながら出して先生に見て貰ふ人がある。こゝにも三四人集まつて批評を聽いてゐる。
 今日は三十分間の講話があるので皆々席に着いた。ノートを出して筆記の用意をするのもある。講話が濟んでから質問がある。かくして日曜日の半日は終つたのである。講習生の中には青山や高輪から來る人もあるとの事、遠きを厭はずして通つて來る熱心にも感服ではあるが、三時間の授業中、無駄口一つきかずに筆を握つてゐる、其眞面目な勉強は實に敬服の價があるであらう。(新參生投)

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