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『みづゑ』第十
明治39年4月3日
□『みづゑ』第十一は臨時増刊として本月十八日頃發行致すべく候。
□臨時増刊は本誌が讀者の共有物たる實を示すべく、專ら社外の秀逸なる畫稿及寄書より成り、紙數も殆ど二倍に増し、石版畫三枚のほか多數の寫眞版を挿入すべく、體裁其他は格別意を用ざるも、内容は常に變りて興趣深かるべしと存候。
□會員組織の件は粗ほ清規も脱稿致候、其内印刷して發表可致實行は本誌の一週年なる七月一日よりと致度候。
□社中の有志數名、本月十四日午後より一泊がけにて桃の寫生會を催す筈に候。場處は未定なれど多摩川上流二股尾、若くは利根河畔押付二ヶ所のうちに候。會費は實費金貳圓以内につき、同行御希望の方は十日頃迄に往復はがきにて御申込あり度候、夜分は合作繪ハガキなど催さるべく興多きことゝ存候。
□本號の口繪を畫かれし河合新藏氏は久しく巴里に在つて斯道を研究せられし人、爾來氏の清楚なる筆に成れる人物畫は屡々本誌上を飾るべく候。
□五月の號には石井栢亭氏の『大坂所見』の石版畫登載可致候。
□福井小林氏へ、面白き繪葉書たしかに拜受致候林の繪は遠方の調子最もよろしく候鳥はもつと確り畫きたきものに候。
□福岡荒木氏へ、樹木は可なれど遠方の山輪廓硬く、土手の草の描法も粗雜に見受け候、今後は引締りたる一部分の寫生を試みられては如何。
□日向武末氏へ、御作には中心なく水の描寫尤も不手際に見受候、一層御研究を望み候。
□伊勢ST氏より本紙編輯費のうちへ金五十錢寄贈致され候、謹で御厚志を謝す。
□口繪寫眞版『赤城鈴ケ峯』は0、W、全紙の畫にして、目下太平洋畫會に陳列致され居候。
□別項太平洋畫會の會員作品分配の件は、本會にて御取次可致に付、御希望の方は可成速に御申出相成度候。
□ローレル會の渡邊光風氏より下の如く申越され候。「拜啓本會詠草數月來貴誌に御厄介相懸居候處讀者諸君中には貴誌が水彩畫專門の雜誌なりとの理由の下に詩歌俳句類の掲載を拒まるゝ向有之やに承り此際會稿を差出候は徒に諸君の意に逆ふのみならす延いては實誌の煩ひとも可相成と存候へば一先送稿方御遠慮申上候此義讀者諸君にも宜敷御傳への程奉題上候」。云々。
右につき當分掲載を見合せ候。
□本誌主任大下氏の親友なる沼田松之助氏より左の書状に接し候。
(前略)雜誌に對する僕の提議は承諾して置て呉れ給へ、使用の方法は君の任意さ、唯僕は君の雜誌發行上に關して何か事ある時の準備として兎に角百圓だけを寄附する事に約束するとしておきませう、ソシテ既百圓は三回か四回位ゐに送りたい云々
本會は本誌に對して深き同情を有せらるゝ沼田氏の厚意を感謝し、謹で其寄附金を受くる事に致し候。使川の方法は熟考の上氏の本意に背かざるやう可致候。