色彩應用論[三]前景

榕村主人アコウムラシュジン 作者一覧へ

榕村主人
『みづゑ』第十二
明治39年5月3日

 前景は一見容易に見えて、其實初學者には、甚だ困難なるものである。前景を巧に描けば、これに依つて人目を滿足せしめ、また同時に主題に光彩を添ゆるものであるが、あまりに描き過ぎたり、細密に過ると、遠方の景が敗けてしまうのである。で前景は本ならば序文、家ならば玄關、オペラならは前奏である。前景は自然界の好箇處を撰んで、注意して描いてあつても、瞥見したばかりでは、宛ら未製品のやうな感がある。しかし仔細に觀察すれば畫家の技量の拙であるのではないのである。自然界について周到の注意と種々の研究を重ぬれば前景に適した線や形等をも巧に撰擇し得るやうになる。で畫家としての趣味の教育あるものは、前景としての特性のない場所を避ける、例令ば遠景を繰返すやうなもの。
 時には不正格に不注意に描いた前景も可とすることがある。されは眼を畫面の中央に注ぐときは、前景は明確には見えないといふにあるので。この場合は眼の燒點以外にあるからである。これは無論であるが、繪畫は視學上の精確な規則を以て律すべきものではない。詮ずるに實際的でなくとも可なるものである。自然界を見るに當つては、眼の燒點を變へなければ、遠景と前景を同時に見ることは出來ない。で繪畫に於ても二ケ所を見るには眼の方向を變へなければ見られないのである。故に繪畫は看者の眼を引付けるに足る丈の部分に注意して描寫し、宛ら自然界に對するの觀あらしむる迄の研究があれば充分である。
 初學者は自然界を寫生するときに、前景に要する諸物を輕々に觀過してしまうので、さて一枚の繪を仕上ける時に至つて、前景には何を描いてよいかに迷ふのである。
 初學者『繪畫は略完成したが、一ツ困つた事がある。他でもない、前景に窮した。こゝには暗い泥炭地があるばかりで。繪は山あり湖水ある古城郭であつて好畫題であるが』
 教師『今見て居る間に、そこに古い泥池の笊や、鍬手車等を描くも可からん。それからその笊の一箇を小娘の脊に掛ける。かゝる注意深い研究は人物や前景に少からず役に立つものである。
 猶農夫の鍬とる樣、或は荷車曳きて家路に辿る處、もしくは橇の如き、乘りたる小娘の紅き衣など手早くそが動作とをスケツチして、前景の準備とするも可いのである。』
 前景の淋しいのは面白くない。でなるべく形を高く、複雜な線が澤山で゜なければならない例之ば道路や岩石等が澤山で、これに藪や雜草が生長して居るのが可いのである。
 前景は繪畫に大いに興味を添ゆるもので、道路岩石等の變化を與へるときは、畫面が堅實になるのである。水彩畫では油繪のそれの如く、繪具を堆く盛ることや、生乾きの處を刷毛にて、調子をよくすること等は出來ないが、かゝる結果を得やうとするには、別の方法を以てせねばならぬ。最初色彩を大膽に平に施すと縁が非常に固く見える。猶これに色彩、形、影等を施してから、乾いた筆で端や縁の色を換えるのである、これは傳色全體を變化させない限りに於てするのである、かゝる方法で或部分の色彩を拭ひ去つて凸景を作出するに勤める。それからこゝに光りを保存するために豐富な透明の色彩を重潤するのである。最後の手段としては、チヤイニースホワイトを使用して希望の色彩を如へ、またはゴムや透明色を塗るも可いのである。
 前陳の方法では、時には畫面が扁平で、堅實を缺くことがある、これを防ぐには用紙の質を換えるのである。天空を描くには粗ならざる用紙を用ひ前景には粗質の用紙を用ゐる、この方法はまづ粗ならざる用紙に描くべき繪の輪廊をスケッチして、前景と中景とにワットマンの粗い方即ち粗い二ッ象章といふのを貼り附けるのである。ワットマンを鋭利なナイフで裁つて、貼附ける小ロを薄く削つて、双方の紙を同じ度に濕らして、糊で貼附けるのである。でこの繼目は遠景や天空の處へ掛らぬやうに注意せねばならぬ。最初に傳色した勢は、やゝ固い嫌いはあるが、畫面の堅實を保つことが出來る。また扁平でなくするには繪具の汁を充分に筆に含まして描くにある。かくするときは濡れて居る問に調子を換えられる便利もある。最初傳色した上へはまた種々の色彩を塗つて、冷くも暖くもするのである。こゝで一般に調子や形が出來たならば、或る度の厚さが必用である。畫面に光部を與へるには、其光部を與へやうとする點に水を點じて、暫くして吸取紙で吸取つて、布かゴムで磨り取る。これも餘り光つたり冷かつたりすれば、暖い色を淡く塗れば暖くなるのである。
 前景の最暗い所に物の形を明に見せやうといふには、鋭利な洋刀で削るのである、で種々手工を用ひても、影の處は透明に光部は不透明にして置くことは肝要である。前景の色彩や形に變化を與へやうといふには、草木を描くに如くはない草木は畫の近い部分にのみ形の變化あり色彩が明確であるばかりでなく、風景全體の色彩に及すやうにせねばならぬ。樹木も名もない下賤なものでも、配置よく並んで居れば、畫家には大いに價値のあるものである。でこれが繪畫全體の調子を整えるばかりでなく、季候の如何までも知るの便がある。
 次に前景に大切なるは、荒蕪地によくある小灌木である。これは遠景のラセット色や紫、薔薇色に限りない變化を與へるものである。蕨の種類のごときも、形が如何にも美しいので、前景に適する。また前景植物として洽ねく知られて居るのは、牛蒡款冬等である。總して前景に草木を描くには、極めて容易に自然的でなければならぬ。草木を岩石や崩れ地に配するときは、繪畫中で前景が甚だ趣味あるものとなる。しかし前景は畫面全體の調和を保たなければならぬことはいふまでもない事である。

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