スケツチ雜談(下)

石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ

石川欽一郎
『みづゑ』第十二
明治39年5月3日

○畫は彩色のある方が稽古をしても面白い、種々な色を用ゐると下手な畫でも綺麗に見える、併し本當に研究するのには、一色畫に限るのです。鉛筆畫は水彩畫を學ぶ基礎である、又た一色水彩畫彩は色を使用する前に稽古する必要がある、鉛筆畫、木炭畫等で研究した運筆の法は、直ちに水彩畫に應用される、一色水彩畫は畫筆の運用、色の調子等の研究に是非必要である、諸君はセピヤ又はニユートラル、チントのみを用ゐて、夕暮の森とか、大きな百姓屋の内部のようなものを寫生し、運筆の法と、色の調子とを研究して見給へ、必ず發明する處がありませう
○色を紙面に塗るに當り、餘り幾度も筆でさはると、終に其色の光澤が失せる、故に筆は只色を紙面に運搬して所要の場處に置いてくる道具と心得、此目的以外には成る可く無駄な筆を使はぬよう心掛けるのが肝要である、繪具の内でも、クリムソン、レーキの如きは、一度紙面に着色したら、直ちに筆を去り、其乾くが儘に放棄して置かないと、往々光澤が失せて、濁つたいやな色になるのは、薔薇の花の寫生なぞに、諸君も經驗されたことで、ありませう、凡て繪具は少しタップリに紙面に着け、直ち筆を去つて徐かに乾かせ、其間は少しもさはらぬことにするのです
○尤も一つの色が濡れてゐる間に他の色を其上に塗る場合も多くある、夕暮の空のボカシの如き、又た空の濡れてゐる間に、遠景の山、森等をかく時の如きである、併し之れとても、心持は常に同一で、一色の上へ他の色を下せば、又た直ちに筆を除いて、少しも色にさはらないようにする、要するに、色を豐かに紙面に着け、自然に乾かせる、と云ふのが、色彩の光澤と透明とを得るに重要なるもので有ります、
○スケツチの稽古は成るべく紙面の大なる方が爲になる、ワットマン四切位を試みると餘程研究になる、紙面の大なるは一寸初めの問は困難でも、二三回の後には平氣になる、反つて小さい畫の方がかくに面倒と思ふようになる、色の細微な關係や調子を丁寧に寫生しようとすれば、小なる畫面では到底不適當なので、之れは前にも述べた通り、不難な樂なスケッチをしようと云ふのならばそれ迄でだが、困難を耐忍して研究して見ようと思ふ諸君は、一つ奮發して、四ツ切り、進んでは半切大をも畫いて見ては如何です
○終りに臨んで、以上お談したことは、只僕が經驗した處であるが、諸君は餘り之れに拘泥しない方が好い、一體畫を習ふに、理屈は極禁物で、畫法とか畫論とかを聞いて、偖て之れを實地に應用して見ようとすると中々の困難だ、手が動かない、其聞いた規則通りにかゝないと正當でないかのように思はれる、之れは銘々固有の發達に有害なるので、僕も自分に此經驗が有つたので、人から入智惠の畫法などは一切放棄し、自分は自分の考で研究したときも有る、寫生には、まづ空から初めて、次ぎに遠景をかけと教へられた處で、自分にそれが都合が惡るのれば、別に方法を勝手に定めて少しも惡くない譯であるから、以上のお談も、反つて諸君の疑惑を來しては本意でないゆゑ、只御參考旁々、諸君のスケツチの研究に對する僕の希望を聊か開陳した位の處で逃げて置きませう。

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