花の水彩[二]

丸山晩霞マルヤマバンカ(1867-1942) 作者一覧へ

丸山晩霞
『みづゑ』第十二
明治39年5月3日

 吾は花を好尚する性情に富み、至る處に於てその美醜を問はず、花とし視れば大に注目するので先に斯道研究の爲め、歐米の大陸を漫遊せしときなどは、行く先々の花園、又は花室に入りて、培養の力にて咲けるものを觀察し、野外散歩のおり等は野生花に注意し、歸途は南洋各地に咲ける花の種類を究めて歸朝した。而して吾が帝國の花と、歐米各國さては南洋の花とを比較して見ると大に異つておる。それは風土や其の他の關係からである。花の種類は日本に多く、その花の麗はしく高尚で、瀟洒淡泊なるは水彩畫を見る樣で、日本人の性情も花の感化をうけたのは决して尠くない。日本に一と度漫遊せし外客は、何れも日本の花を賞揚して、美園國とまで嘆賞するので、それは至て眞面目なる賞讃の語である。
 歐米を通じて野生の花は至て尠い、多くは一度人の培養により、天工を失して人間化した花である。世紀を重ねた文化は園藝術を進歩爲さしめ、花樹花草の培養は實に驚くの外はない、恰も兵卒が將校の命ずるまゝに働くかの如く、園丁の命ずるまゝに咲くのである。米歐にありて吾が觀察の一二を擧ぐれば、或る年の冬、北米の費府に滯留せしことあり。北米の嚴寒は激烈にして、吾國人の想像もつかぬ程である、吹雲窓を打つの日、費府の公園に至りて植物館を參觀した。巨大なる館は厚きガラスにて構造せしもの、これに入れば内部を區別して、熱帶温帶となし、熱帶部には椰子、竹、芭蕉、蓊欝として叢生し、清澄泉は緑翠の間を出でゝ小河となり、河畔の雜草新緑滴り、奇しき花は芳香を放ち、身は閑雅なる南洋の一區にあるの感が起つた。その館を出づれば温帶寰區にして、日本の花樹花草も培養され、躑躅、牡丹、燕子花、は百花と色彩を競ひつゝ咲き亂れてあつた。花を好愛する吾は、只美と奇とを叫びて、この境を去るに忍びなかつた。其の他歐米は至る處四季を通じて、家室及び園林庭池に花の斷える事がない。殊に英人は花を愛し、英の田舍にありては、花を以て住家を包めるものを視た。英人は園藝術に長じて、庭園を作るにも自然に近づけ、花にて掩はれし家も自然の如く見せ、色の調和もよく、如何にも麗美で、吾はかゝる家の前を過ぐるごとに、何時もしばし見とれて、花の中なる家庭も、花の如く美しく温かである事も想像した。其の他南歐北歐何れも培養の花のみ多く、野生花は至て尠い。瑞西の山間には、野生花の美はしきを視しも、日本の野を彩する如き花には遠く及ばず。南洋は花殊に多し、何れも形大にして、紅赤紫のものにて濃艷である。總て日本の淡麗には及ばぬのである。以上は欧米の花の概略である。日本の花は先づ國花として櫻花を第一位とす。殊に高潔なる梅又は菊の如きは、東洋特殊の花として、歐米にありて見る事が出來ない。日本の花として世界に秀でゝ讃嘆さるゝのは、園林庭池を彩する培養の花にあらず、吾が帝國を美しう纒ふ衣ともいふ可き野生の花である。野生の花は天工なり、天彩なり、天の美、之れ以上の美はあるまい。凡て天工の花は一重咲きにして、培養にて變化したる人工の花は八重咲きである。八重の花を嘆賞するは、未だ花の美を知らざるものである。
 花の色
 宇宙間の色彩にて、花の如く麗美なる色は他にあるまいと思ふ。而して花の色は種類至て多く、之れを微細に區別すれば、百千を以て數ふるであらふ。今これを大別して、白、黄、赤黄、紅、赤、青、紫、の七種と爲す。
 四季の花色
 吾は科學者にあらざれば、一々理を説明する事は出來ない。只自分が花を見て感じ、それを畫く上より觀察したる經驗を述ぷるのである。吾が實地の經驗によると、冬の終りから早春にかけて咲く花には、黄、と白、が割合に多いのである。氣候其の他の關係であらふ。氣候の寒い頃は、草木は皆枯れて、自然界の色は赤黄色黄色白色の如く淡白であるから、黄白の花は自然の保護色ではあるまいか。これ等の花が霜枯れた野に咲て居ると、色の調和もよく至つて高尚な感が起る。黄白の花の一二を擧ぐれば、晩冬の頃より水仙、茶、枇杷、寒菊、金剛纂、柊、蝋楳、などで、早春よりは福壽草、雪割草、梅迎春花、蒲公英、の如くいづれも黄色と白色である。孟夏の候でも、氣候の寒い深山や高嶺に登ると、割合に白と黄の花が多く吹いてゐる、紫色又は紅色に咲く菫、釣船草、の如きも、寒い山に這入ると、これが白に咲き黄に咲くのである、信州輕井澤の高原には、一面に白の菫が咲き、白馬山の頂嶺には、黄の菫、黄花石楠、がある。陽氣漸く發する二三月頃の氣候となると、紅色が漸々深くなり、赤色も加はり、梅、桃、椿、等が咲き、葉櫻の晩春頃より、紫色の藤が始まり、初夏になると濃厚なる色紫、紅、赤、が多くなり、燕子花、牡丹、菖蒲、芍藥、杜鵑花、等が険き、深緑の候となると、色は倍々濃厚を加へ、百合、蓮、薔薇、百日紅、安石榴、白桐、牽牛、など開らき、殘暑の頃は山野一帶、千紫万紅ともいふ可き草花を以て充たされ、秋の七草とて歌に詩に畫に、風懷の高士に愛さるゝこの候が野花の盛時である。秋風一と度吹けば、これ等の濃厚なる色彩は色あせて、純潔なる白萩、しほらしき女郎花等喉殘り、それよりは野も山も錦と見まごふ霜葉となり、これ等が落葉すると赤黄色なる霜枯の野に、黄白の野菊が殘るのである。

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