日本の春[三]

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アルフレッド、パーソンス
『みづゑ』第十二
明治39年5月3日

 日本は總じて氣候が暖いので、草木が盛に成長する大竹林があり、躑躅の大藪があり、棕櫚が密生して居る。四月の最後の週間に堤の側を見ると葉の開かない狗脊や蕨があつた。また蛇百合の赤い若芽や愛らしい燕子花は拉芬佗色の花が枝になつた莖に咲て居る、花片の外側は濃紫色で縁取られて、輝いた橙黄色の角で飾られて居る。茶屋や寺院の庭には躑躅や椿や木蓮や櫻がある。また楓の若葉が二月の花より美麗である。此庭園が一年中の花のあるのは極僅の時で、其他は緑色や灰色の並列であるが、春の花の爲には手入が非常にかゝるのである。櫻や木蓮は其生長の儘に置くが、其他のものは、日本の園藝師の理想に依て其木の種類に附て適不適を考へ、形の配置等を研究して、多少の法式に依て形を造るのである。花には花壇はない。少さな池には燕子花や蓮の子があり、庭の片隅には百合や菊や其他のものがあるが、これはほんの偶然の事である、園藝師の眼目とする處は、岩石や木や、石燈籠や池、橋等を一定の法則に準じて、配置し時代をつけて、尋常見る處のものと同樣に見せるのである。わが日本の一友人が日本の風景園藝師の技術は甚だ複雜なもので、一例を擧ぐれば或種類の木を植えると、其側に据えたる石は土佐から取寄せなければならない。土佐といへばこゝから大分の遠隔の地であるのだ、装飾的の庭園は花園とは全く別種のもので、π本で有名な燕子花、牡丹菊等各種類を專門家や富豪の好事家が培養して居るのである。
 五月の三日に宿の亭主が牡丹を唐銅の花瓶に挿して持て來てくれた。これで牡丹の時節を知ったので、翌朝早くこの名所のハセへと人力車で出立した。荷物と繪の道具とで人力車が二臺ボーイとわれとで二臺、一輌に二人の挽子で下つて來た。タツミヤ一家で告別の辭を述べる。少女等は縁側にづらりと並んで坐つて、頭を下げて鼻を敷物へ附けて、鳶色の手をついて居る。亭主は普通の贈物と、チヤダイの愛取りをくれる。これをやると町はづれまで送つてくれるのである。
 吉野川に到る二三哩間は曾ての上りと同じであつたが、九日間に大分變つて來た。今まで樹木が裸であつたが、今日は既に春の葉をつけて居るのである。ムダの渡船を越してから北の方へと向つた。稍々下りで道は佳し、ヤマトからトサへ下るトノミ子山の麓であるので、森林のよいのもあつた。人力車旅行も、好天氣で道路が可くて挽子が活溌ならば甚だ愉快なもので、心氣を騒亂す馬蹄の音は聞えず、草鞋の足音は極かすかで耳觸にならず、行手の景色の佳ので心を奪はれてしまう。それで折々立場茶屋へ休むので、こゝで風俗をも見られ、休息も出來るのである。トサで辨當を食ふたときは、宿に愛くるしい家婢二人があつて物珍らしさうにわれを見て、われとわが所持品を大さう珍らしがつて居た。時計マツチ箱、巻煙草入、其他のものを吟味し、斷つてこれを宿の亭主にまで見せた。それから日本の禮儀としてある、わが年齢、家族其他人事に關することを聞かれたには甚だ迷惑した。
 ヤマトの平原は日本現人種の最も早い歴史的の古跡で、歴代皇帝の墳墓のツムリ(培塚)が澤山ある。ジンムテンノーを初として其他多くあるので、こゝは祖先崇拜の日本人には神聖の地とせられて居る。年々此地方に巡禮者が澤山あつて、ヤマトメグリといふて居る。旅宿もこの巡禮者に對しては利益なしで遇するといふ事だ。ハセは此人々で群集して、茶屋は何れも塞つて居る。わが宿つた隣室には少くとも十二人は寝て居つた。わが一室を得たのは僥倖であつたのである。
 宿をとつてから猶時間があるので、街を逍遙して、ハセ寺へと上つた。石段の両側には牡丹が植つて居る、花は大輪で白から濃紫と並んで、古い灰色の石燈籠を背景にして午後の日光に輝いて居る。寺は丁度奈良の二月堂其他のやうに山側に建つて居る、多くは皆廣い廊があつて、香爐が据えてあり、誓願の繪や唐銅の燈籠、があり内部の禮拜所がある。祭壇の入口を通り越すと濃紫の幕が懸つてあって、凡そ三十尺もあらうといふ黄金色の觀音の立像がある。其顔がいかにも靜穩な慈悲深い表情があつた。これも窓のない龕で薄暗い燈で見えたのであつた。此等の後には小さな寺の僧坊等がありまた小さな池があつて神聖な龜が居る。
 

初瀬の藤アルフレツド、パルソンス

 ハセの通りには溝が掘つてあつて、眞中の一つは家事用に使用して居る。何時も女が裾を端折つて衣類を洗つたり、魚や野菜を洗ひ、また長い木の柄の檜杓で湯や使水に酌んで居るのである。両側の溝では米搗の小水車を廻はして居る。最も未開の地では杵と臼とで米を搗く、また他の所では長い杵に樞軸をつけて其一端を蹈んで搗くのもある。
 小流の本流である谷川は家の後に添ふて流れる。堤には竹が生かぶさり、岩にはしやかや一八が繁つて居る。アタゴヤマから川を見下す處は風景が絶佳で、平地でハセの人家の灰色の屋根が見えて、川の両側は緑の小山で彎曲つて、川の水が輝いて居る。緑野の處々に小村落が點在して、遠くヤマト平原に連なつて居る。平原にはジンムテンノーの陵のあるウネビヤマが中央にあつて、その先には山々が雲の如く連つて居るのである。
 朝まだきまたも人力車で舊知奈良へと戻つた。觀音はわがハセを去ったのを喜んだであらう、わが來るときは寺の僧侶等は仕事を怠けて、終日わが肩の方から覗込んだり、口を開いてわが顔を見たりして居たからである。これが五月の九日で、カスガ公園の藤の花が今を盛りと咲いて居るのを發見した。藤の花は薄紫の花束を垂下げて、宛ら樫と杉の老木から瀧が流れて居るやうで、其下には若楓がある。最もわが意を得た處は、緑草を縫ふて流れる清流があつて、両側にある木は皆藤で、花が盛に吹いて居る。こゝはまた閑寂の地で巡禮者や旅人の跡がないので廻りにたかられる憂がない。稀に人が見ゆれば、それは薪採りや蕨折りの女や小供である。日本では蕨を葉の開かない内に折つて茄でゝ醤油で煮て食するのである。
 奈良で仕事をすれば澤山ありながらも、こゝを出立しやうとしたころは、藤花は既に散つてしまつた。それに寫生地を更へた方が良策であるので、また宿でも、ビハ湖畔のヒコネに古園があると聞いたので、そこへ行かうとしたのである。荷物や何かを準備して明朝出発する筈にした。もしやまた寫生し殘した處でもあるまいかと、寺院や公園を廻つて見て、ミカサヤマへ上つた。頂上には亭らな芝地で、天氣が好いので遊山に來た人々も處々に居つた。頂上からは、キヅガワに沿ふて奈良一帶が見える。山々に草が一面にあつて風馴れのしない松の木があり、谷間は躑躅が燃ゆるやうな花を附けて居る。遂にこの景色の捨難くて、また二三日を延ばしたが、怠勝ちの爲めに好題目も畫板に上らなかったのは恨みであつた。
(此項完)

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