春季展覽會の水彩畫

丸山晩霞マルヤマバンカ(1867-1942) 作者一覧へ

晩霞・汀鶯
『みづゑ』第十二
明治39年5月3日

○此會は寧ろ水彩畫の展覽會ともいふべく、殆ど百枚近くあつて、油繪に比して其數は遙かに多い。吾々の見た時は番號のみで一々畫題がなかつたから、繪そのものに就て精しく批評する事は出來ぬ、夫故こゝには各作家の作品に現はれたる特質を紹介することゝした。
○トモヱ會といへば五姓田芳柳を聯想する程多作を以て知られてゐた同氏は、何故か本年はたゞ二枚の水彩畫を見たのみである。繪は南洋あたりの緑の茂みで、有繋に羣を抜いてはいるが、例によつて調子が弱く、色もまた單調であるやうに思はれた。
○『みづゑ』のヱハガキ競技會でお馴染の青梅の瀧島寛水氏も二三の出品があつた。『御手洗』を寫したものは苦心の作ときいてはゐたが、何處となく締りがない、矢張り素人放れのしない處がある。繪ハガキのやうな小さなものでは其人の力を示しがたく、同時に眞の繪をかく上にあまり益がないから、大きな畫面でドシドシ研究されたい。
 

若草一等山田全一

○依田忠亮氏の靜物畫は何れも忠實で、形や色彩の配置もよく、將來有望の作家であらう。
○東城鉦大郎氏の水彩畫は實に淡白を極めたもので、四條派の繪を見るやうである。このやうな描法でも、自然のある種の現象を寫すには差支はないが、自然の總ての現象を寫すことは出來ない。強く烈しい日光の照つけてゐる感じとか。壯大な重々しい境地は到底描き出す事は出來ぬであらう。
○場中て一番注意されたのは石川欽一郎氏の諸作である。氏の繪は數年前迄は、殊更に氣取つたかと思はるゝやうな描き方であつたが、近頃の繪にはそのやうな風も見えず、色も豐富になり調子もよく整つてゐて、非常に快よく思はれた。
○織田一麿氏の繪は美しい描法で、花の寫生など尤も手際よく仕上られてある。この樣なものにかけては誰れも一寸眞似が出來ぬであらう。かゝる繪は噛み締めて味の出るといふ所謂含蓄の多い側ではないが、見た眼に快感を與える力は充分ある。但し繪を學びつゝある若き人達が、己れも一番あんな風にと、若し思つたら間違である。同氏の作でも『温室内』や『汽罐車』などは圖の大きい丈けに統一してゐない。そして遠近の調子も充分でない。殊に『汽罐車』の如きは氏の本領であるまいと思はれる。
○玉置金司、尾瀬田良恭二氏の作は、數年前に比して進歩したとは思へない。修養の暇を持たれぬ爲めであらうか、何卒次の會には更に立派な作を出されんことを切望する。
○他に鵜澤四丁氏の作が澤山あるが、同氏は本誌に直接の關係を持つてゐらるゝから、爰には批評を省くことゝした。
○要するにトモヱ會の水彩畫は、會全體を通じて調子の低い繪のみで、輕妙、御手際、洒落、淡白といふやうな形容詞を不殘並べたてゝ評すべきもので、繪の上に深さや重さは殆ど見られない。此やうな風が决して惡るいと批難するものではないが、多少水彩畫を弄ぶといふ樣子が見えて、極眞面目に水彩畫を研究したと思はるゝものゝ少ないのは事質である。或る畫家は『トモヱ會の人連はロンドンあたりの眞に仕上げた水彩畫を見たことがないからだ』といはれたが夫が爲めではあるまい、恐らくは會の首腦たる五姓田、石川諸氏の輕妙なる作が、自然に模範となつて一種の畫風を作つたのであらうと思はれる。
 

蝶一等和賀井恂

 大平洋畫會
○この會の水彩畫は作家二十七人で百三十點程ある、爰にはその重なるものについて所感を述べやう。
○長谷川曾一氏の作では『夕の光』といふのが一番よい出來である、『しづか』といふ繪は、遠景の色は面白いが、前にある數本の黒い木の幹で全體の調子を破つて仕舞つた。『蓮池』などはまだ研究の餘地があらう、吾々は氏に向つて今少しく物質寫生を研究せられんことを希望する。
○藤島英輔氏の繪は隨分澤山ある、中で靜物の『面』はよい出來である、誰しも風景寫生よりも室内で描く靜物の方がよく出來るものである、他の繪のうちでは『鹽濱』など氣に入つた一つで、『花壇』は背景の森の色が生々しい、氏の出品は十七點の多きに達してゐるが、深き研究の結果と思はるゝ實の入つた作はない、それに何れも小幀ばかりである、もつと大きなものを見せて頂きたい。
○ボストンの松木喜八郎氏の筆になつたものが三點出てゐる、小幅ではあるがよく整つてゐる、氏は元よりアマチユアに過ぎぬけれど、さすが本場に居る丈けあつて常によいものを見てゐるから、其畫にも自然に影響を受けて、このやうなよい結果を得たのであらう。
 

ボストン、ケンブリツジの夕松木喜八郎

○大橋正堯氏の繪では『春日野』が傑出してゐる。次は『舊都のおもかげ』であるが、これは地面に申分がある、氏は熱心な水彩畫家で、常に研究を怠らぬには感服するが、猶此上の望には、今一暦奥行るある調子の確りしたものを描いて貰ひたい。
○星野誠二氏の靜物畫は、注意がよく行届いてゐる計りでなく、色調も穩やかな佳作である。
○中川八郎氏の出品畫は、孰れもグワツシ(胡粉入繪具でかいたもの)であるが中々意氣な描法である。少し洒落過たといふ評もあれど、兎に角眞の研究畫として待つことは出來ぬ。在米中のスケツチとして見れば勿論與味の多いもので、五枚のうちで『雨後の夜市』が一番氣に入つた。
○平木政次氏の今年の繪は、描法が確りとして來た爲か總じて硬くなつた樣である。そして色が寒い、尤も二枚共富士の雪景ではあるが。
○磯部忠一氏の作はそれぞれ面白い、殊に『桂川の雨』を第一とする。雨の心得もよく現はれてゐる、色も落ついて居て快よい繪である、『桂川のほとり』も佳作である。
○石井満吉氏の繪は二枚ある、『秋色』と題するもの、實は昨年初夏の作で、誰れかよい加減な畫題をつけたのであらう。氏の着筆は輕く、しかも色調は重い方で、描法の素直な割合に確りした表が出來る。此圖は捨難い趣はあるが、僅か一二時間のスケッチに過ぎぬから、元より氏の本領を窺ふことは出來ぬ。
○沼邊強太郎氏の出品のうちでは、雨の繪と富士を描いたものがよいと思つた。其他の作も惡くはないが、少々書き放しといふ氣味で物足らぬ。氏は年々多數の大作を出さるゝが、澁いといふのでもないが何となく引立たぬのは、餘りに色彩を殺し過る爲ではあるまいか、今少し活々とした色を使ったら一層見榮えがするであらうと思はれる。
○參考室にはボストンのチヤーレス、エッチ、ペツパー氏の水彩畫が二枚ある。一を『たくらみ』といひて、二人の惡漢が大なる建物の欄にもたれて、何事か秘密に相談してゐる圖である。全體が澁いセピア色で、感を強するため凄い黒雲が舞下って來てゐる、一部分の描寫でありながら、不思議な程繪が大きく見える、クレオンペンシルなと使つて達者な描き方である。
○他の一面は『グリインドーア』といふので、緑色の戸の前に婦人の立つてゐる圖である。ボアイトの多量を使用してある故潤澤がないが、色は何れむ靜かな落ついた調子である。
○本誌の眞野氏の出品及吾々繪については、他日折があつたら所惑を述べて見やう。

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