讀者の領分


『みづゑ』第十二
明治39年5月3日

■問答欄が簡易になったのは大に嬉し、編者の苦心は充分諒とします(伊勢淡山)■僕の希望は大下先生の寫眞を出されたき事。口繪は大下先生か三宅先生に執筆せられたき事。人物畫法を説かれたき事。會員組織を早く實行されたき事。スケッチの批評を願いたき事(日向TK生)四月は實に嬉しい月だ、それは上野に展覽會があつて水彩畫を澤山見られるから(東臺生)■何と言ても水彩畫は太平洋畫會だ、巴會駄作が多く白馬會は數が少ない(下谷T、T、)■僕は川崎安さんの人體畫法(九十錢)中村勝次郎さんの水彩及油繪畫法(二十錢)不用にっき何か美術に關した書物か水彩畫の道具と交換して呉れませんか(宇都宮馬場町一、一、吉井孤雁)■國民新聞の太平洋畫會評を見たら、石川さんのパステルを水彩畫と間違へて馬鹿に賛めてある。評者はどこに眼をつけてゐるのだろう(本郷一光生)■『みづゑ』の十號は最初から終迄平易に出來てゐて僕にもよく解つた(小石川小學生)■原色版と三色版とは同じですが(下谷ST生)◎同じです赤と黄と青との三色より成るものです■大日本繪畫講習會の洋畫講義録一月發行の分がまだ來ない、何か譯があるのかしら(會員の一人)■紙數の増加をもつと活溌にし有益なる講話を多く載せて下さい(大和の山人)■臨時増刊は中々無邪氣で面白かつた、年一回位いは結構(高崎H、H)■臨時増刊應募の繪を出品者間に交換しては如何、送付料は差出ます(一紅)■諸君のうちで『みづゑ』第二御不用の方は御譲りを願ふ、但し折目があつては困ります(下谷西黒門町五、多田方高橋順三)■『みづゑ』第十の表紙は好ましくはない(陸前KY)■競技會の繪葉書にABCの符號を記されたし◎記號のないのは總てAで他は隅に記してあります■吾等『みづゑ』に次で愛讀してゐた『月刊スケッチ』は終に廢刊した『むさし野』に合併といへどあれでは名義計りでまことに心細い(本郷一光)■僕は今年初めて上京展覽會で水彩畫を見て印刷の甚しく幼稚なのを悟つた、心ある地方諸君は是非年に一回出京して此大觀を見給へ(ボツト出生)■私が太平洋畫會で感心した繪は丸山大下諸先生の作は別として、磯部といふ人の雨の圖でした(半解生)■巴會であゝ欲しいと思つたのは織田といふ先生の花の繪で、あゝ厭だと思つたのは玉置といふ先生の景色畫(麻布ゝゝ生)■小生彫刻を習いたいのであるが、初學者のために何か善き手本ありや(みづゑ讀者)◎聞及びません其道の人に尋ねて上げませう■繪の大下手を御承知で御交換を題ひます(下谷區西黒門町五、多田方高橋順三)■卷煙草の箱の鞘は見取枠の代用品になります(神戸MY生)■『みづゑ』は大下先生の雜誌ですから毎號先生の口繪を連載して下さい(下野やちよ生)■臨時増刊の繪を初めた動機の中には僕と同樣な人もあつて實に面臼かつた(城西の烏)■僕の處へ來た四月の中學世界大下先生の繪は何だか判らなかつた。友人のはよく出來てゐたが同じ版でナゼ相違があるのかしら(松山、水草)■水彩畫繪端書の交換を願ふ由て以て余が斯道の研究に助力せられん事を乞ふ(福井縣大野郡下庄村正津政夫)

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