囀々
時評子
『みづゑ』第十三 P.16
明治39年6月3日
△この頃の讀賣新聞に三宅克己氏の畫談があつたが、其一節に師弟の關係につき敬服しかねたる御説があつた。
△それは美術家が弟子を養ふはよほど注意を要する事であつて、恩を知らぬのみか却て害を受くる事がある、恰も虎を飼ふやうなもので、手足が伸ると其師を殺して仕舞ふといふやうな意味であつた。
△余は三宅氏の如き衆望を負へる大家の口よりかゝる説をきくを悲しむものである。疑もなく此説は美術學生を侮辱したものと曰はねばならぬ、これでは美術書生は恩知らずの不徳義漢といふのと同樣である。
△余は美術書生を鳩の如しといひたいのである。專心彼等のために圖り、自己の蘊蓄を傾けて彼等を指導し、彼等の日々に進歩しゆくを見て至樂とするの心さへあれば、彼等はもと優しき美術に志せし情の人なり、爰ぞ師の恩を思はざらんや、恰も子女が慈母に對すると同樣であつて、其例には甚だ乏しくないのである。
△勿論例外はある最初から素見半分に弟子となり、少し事情に通ずると忽ち生意氣になつて、自分一人で偉らくなつた樣に思ふ連中もないではないが、極めて稀な事で且此樣な例は單に美術家のみの出來事ではない。
△若し師にして虎を飼ふやうな心持で其弟子に對すれば弟子たるもの勢虎にも狼にもなるであらう。
△乍併三宅氏の説にも據處がないのではない、其實例もある樣である。されど斯る場合にても單に弟子のみ惡いのでなく、却て師に大なる罪がある。
△きく處によれば。或る先生は教授を賣物にして少しも後進の爲めを思はぬ、甚しきは弟子の技倆が進むにつれて自己の地位勢力を失はん事を恐れ。種々の方法を講じて其弟子を苦しむるものさへあるとの話である。
△かゝる愛情なき師に對して、獨りそを振捨たる弟子のみを責むる事は出來ぬ。
△若し又其が弟子を愛し、弟子の爲めに出來る丈け盡す處があつたとしても、其人にして師となる程の技倆を有せざらんか、此場合に弟子の去るのは不得止事であらうと思ふ。
△兎に角師は其門下生より自己に優る畫家を出す事を名譽とするの心を持つて後進を導かれん事を、三宅氏始め世の先生方に望まざるを得ない。