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『みづゑ』第十四
明治39年7月3日
□水彩畫夏期講習會は、遠くは廣島新潟岩手德島より、近くは東京市内にも賛成者有之候間、別紙規定の通りにていよいよ開催に决し候に付奮て御入會有之度候。
□會期三週間の眞面目なる講習は、三ケ年間の濁習に優るべく候。そは我々が水彩畫講習所に於ける五ヶ月間(教授日數二十日間程)の成績に徴して明かなる事實に御座候。
□青梅に於ける宿泊所等は本會に於て差支なきやう取計ひ置可申候。
□入會の諸君にして、新たに畫用具を求めらるゝ方は、特約店文房堂の割引切符を送呈可致候間、入會の際郵券を二錢添えられたく候。
□本會の會員規定は本月より實行の筈に候處、最早數名の申込有之候。その姓名は次號に掲出可致候。
□正會員志望者に對する作品鑑別は稍嚴重なるべく候に付、自ら危まるゝ諸君は一時賛助會員となりて修養を積まれ、後ち正會員に轉ぜられんことを希望致候。
□或る人々は、規定の記名料を苦痛とせられて免除を要求致され候へ共、こは本會に特別の功勞ある人々に限り候事故濫りに應じ兼候。
□記名料を求むるは本會の本意にあらず、會員を制限すべき不得止手段に御座候。若し何等の負擔なくして入會を許すとせは、數千の讀者は皆會員たるべく、かくすれば到底規定の如き便宜を與ふる事出來難き譯と相成可申候。
□作品を出さゞる月は棄權云々の文字に疑を抱かるゝ人有之候が、右は其月分を翌月まとめて送つて來ても削添批評等致さぬと申意味に御座候。
□御送付の作品には寫生の月日時間等御明記あり度候。
□本號は飛騨の旅にて全誌を埋め餘白無之候に付、競技會一等の寫眞版は次號に出すべく候。
□飛騨の旅の續稿は九月の號に登載可致、記事は益々佳境に入るべく候。
□三宅克己氏の利根川廻りと申面白き紀行、簡潔なる挿繪と共に次號に掲載可致候。御約束のスケツチ雜感はその内御寄稿ある筈に御座候。
□猶次號には石川欽一郎氏の滿洲所見のスケッチ、石版畫として出すべく候。
□鎌倉雪の下なる大橋正堯氏は、熱心なる水彩畫家として大平洋畫會中屈指の人に候が、今回水彩畫普及の一手段として、地方有志のために通信講習會を開かれ候。方法も簡便なれば初學者には益多かるべしと存候。
□十軒店の水彩畫講習所に於ては、去月第二日曜日午後より第一回の懇親會を開き申候。成績品の展覽、繪ハガキ交換、奇警なる福引、有志の詩吟、手品、ハーモニカの演奏などありて各愉快に半日を無邪氣に遊び暮し申候。因に各生徒の成績品を見るに、開講半歳に滿たぬ短日月なるに不拘驚くべき進歩ありしは、常に極めて眞面目に熱心に勉強さるゝ結果なるべく候へども、又一には規則立ちし教育を受けし爲なるべしと存候。
□猶講習生の内には、途中汽車の便をかりてすら八時の開講を五時半に家を出ねばならぬと申遠方より來らるゝ人も有之、又毎日學校に通はれて餘暇乏しきに不拘、登校前又は放校後に寫生せし風景静物畫の類を毎週必ず二三枚以上持來る人々も少なからぬには深く感心致候。
□陸前海老名氏へ、靜物は床の色と器物の色と似よりたるはあしく、又物の取合せも今一工風ありたく候。湖畔は無難の作。
□宇都宮石田氏へ、小品としては申分なき作と存候、屋根裏の暗さと室内の暗さとは區別ありたく候。
□秋田高橋氏へ、御作は輕妙と賞すべし、たゞ研究の跡なきを惜しみ申候。