色彩に就て


『みづゑ』第十五
明治39年8月3日

△繪畫に尤も必要なるものは色彩である。色彩學は一の專門的仕事であるが、畫家は其發色を見てその通りに紙上に再現することを苦心するものである
△色は對照にょつて始めて現はるゝものである。白い紙赤い紙ただそれのみでは無色といふのである。闇の夜は無色である。海の凪て穏やかな日、水と天と區別の出來ぬやうな現象、あれも無色である。
△白い紙の上へ赤の紙を載せて始めて色が出來る。闇の夜に星とか燈とかあつて色が出來る。海の中に船とか嶋とかあつて始めて色がある。これが色の發現である。
△色には階級がある。薔薇の花を黄だといふても、これを糸瓜の花と比べると、前者は黄でないともいへる。
△輪廓といふものは、ある色と他の色との境界に過ぎぬ、別に線をなしてゐるのではない。物を描く便宜上畫家が線を作つたのである。
△色は光にょつて始めて現はるゝものである。光の變化によつて色に影響を及ほすのは勿論で、同じ物體にても、朝と夕とで色に相違を生ずるものである。
△霧はまた固有の色を變化させる。水蒸氣に日光が通じて來ると、一種の色が現はれる。
△物體の色には、透明したものと濁つたものとある。彩料には、即ち透明色不透明色がある。これは研究すべき大切なものである。
△繪を描くとき、透明色不透明色を、其畫くべき目的物の色に應じて用ふるは當然である。併し透明した處に必ずしも透明色を用ひなくともよい。不透明色を用ひて透明の感を與ふる事が出來ればそれでもよいのである。
△パステルは總て軟い彩末を捧状に固めたもので、何れも不透明なるは云ふを待たぬ。その不透明のパテテルで畫いたものに、(日本でこそ見られないが)驚くべき透明した感の現はれた繪が澤山ある。
△またグワツシといふて、あらゆる繪具にホワイトを混ぜて畫く繪がある。ホワイトを混ぜれば不透明になるが、それで立派な透明體を描き現はしてある。
△畫家が苦心するのは色の調和である。調和を得てゐる色といふのは、看者の目に和かに且高尚な色を指すのである。
△不調和の色とは、赤や黄のギラギラする彩料の多分に使用された場合である。
△自然物の色には殆ど不調和がない。吾々が自然を愛し貴ぶは此理に外ならぬ。
△色のよく調和してゐない繪は、タトへ取材が如何によくとも見るに耐えぬ。丁度食物のやうなもので、鹽梅がよく出來ればどんな旨いものでも食されぬと同様である。
△但し自然に激變があれば、色彩にもそれは伴ふが、矢張り調和は失ふて居らぬ。地震、暴風、噴火等で烈しい色彩が用ひられてある場合でも、自然は決して不調和を呈さない。
△ホワイトの使用について一寸注意したい事があるホワイトは其儘用ゆると、年月がたちて他の色が褪せても、ホワイト丈けは其儘であるから、著しく目立つて調和しない。夫故白い場合には紙の地を残して、ホワイトを用ひぬ方がよい。他の彩料と混じて使用するは羞支ない。
△月夜の色彩につき、私も友人達も同意見な一の研究がある。
△それは自分達が、月の繪をかくといつも寒く、實際月夜に見た感じと相違がある。月夜をよく觀察して見ると決して色が寒くはない、多少の暖味がある。
△從來の描法は、月も黄があり乍ら白色に近く、月の光りも影も皆寒色で畫いた。それを今度は、光り丈けは寒色にして、影は暖かい色で畫いたら、漸く自然に近いものが出來た。
△バアントシーナ、ヴアミリオン、ライトレツド、エローオークル、クリムソンレーキなどいふ色で影の下塗をした時は、是が月夜の繪になるだろうかと疑はるゝ程であつたが、其下塗の上に、インヂゴー、プロシアンブルーといふ様な色をかけて仕上げて見ると、さきの暖色が調和よく現はれて、感じが充分見えるやうになつた。
△寒色と暖色(或は熱色)は、繪の具箱を見れば分かる。即ち見て暖い感のある、黄や赤は熱色で、寒い感のある藍や緑は寒色である。
△併し赤でもヴエリミリオンは暖色だか、クリムソンレーキは寒色の仲間に入れねばならぬ。尤も極淡く用ふれば寒色とは云へぬ。
△暖色は物を固有の形より大きく見せ、寒色は之に反して小さく見せる。是は目が欺かれるのであるから、寫生の時はよく他と比較して注意せねばならぬ。
△自分の家の背後に一の雜木山があつた、紅葉の時分朝夕それを寫してゐたが、或月の夜此山を見た時、別のものではないかと思ふ程小さく見えた。晝は赤や黄の熟色で大きく見え、夜は月の光りの寒色で小さく見えたので不思儀はないが、その時は驚いたのである。
△夜中遠き燈火は、隨分大きく見えるもので、矢はり此理に外ならぬのである。
(以上水彩畫講習所に於ける丸山健策氏講話の大要)

この記事をPDFで見る