初學者の繪[二]描法の注意

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

大下藤次郎
『みづゑ』第十五 P.4
明治39年8月3日

△ある人の繪に、夏の眞晝の日向で寫生をしたといふに拘はらず、調子が弱く、全體に霧でもかゝつてゐる様な感じの作があつた。此人平素のやり方と異なるから、何か思ふ處あつてこの様な描法をとつたのかと訊いたら、別に考もなく、只友人の繪にこの様な者があつて、それが好もしく感じたからとの事であつた。
△繪は軟かに描くものであるときいては、石も綿も區別の出來ぬやうな描方をする。暖かく描くものと云へば、寒く冷たき色を要する場合をもベタベタ熱色を塗抹する。是等は兎角迷ひ易い初學の人に多くある例である。
△それは何れも忠實に物を寫生したのではなく、自然を手本としながら勝手な仕事をしてゐるのである。
△フランスのコローや、アメリカのトライオンの繪には、多く朝や霧の感じ計り寫してある。殊に後者の如きは、いつでも同じ様な光景計り繪にしてある。それは何も眞晝間強く太陽の照してゐる場處を、殊更にそのやうに寫生したのではなくて、霧のある時を寫生し、若くは霧の様に畫室で作り直すのであつて、決して無意味にこのやうな仕事をしてゐるのではない。
△強い感じのある場處で寫生しながら、無意味に弱く寫したりするのは、色で云へば赤を青に、形で云へば四角を三角に描くのと少しも異ならぬ。寫すべきものが四角であつたら、夫を四角に描くが如く、強い光線の景は矢張り強く描かねばならぬ。
△明るい感じの場處を暗く描いたり、華やかな光景を澁く寫したりするのは、心に成算があつて、殊更にする、所謂大家の仕事で、初學の人々の眞似すべき事ではない。
△宜しく稽古の寫生には、目に見えた有の儘を正直に寫しさへすればよい。但爰にいふ正直とは、徒らに筆數を多く細かに寫するといふ意味ではない。

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