無鳥郷の蝙蝠
石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ
石川欽一郎
『みづゑ』第十五 P.6
明治39年8月3日
滿洲新民屯と云つた處で御承知の方は少なかろうが、奉天の西四十哩、遼西の一邑にして、人口六萬、蒙古其他北滿州方面との通商極めて盛んなる處である、併し「みつゑ」は地理書でないから此位に止めて、偖て抑もが此土地にアーチストと云ふものは天地開闢以來未だ來た事が無い?先づ僕が元祖開山とも謂つ可きものだ?一日市中で三脚を据ヘイーゼルを立てた處がウンとタカッて來た、僕は性來、ゴチヤゴチャしたる町の景色のようなものが數寄だ、それで往來中でおツパじめた處が大變、十重二十重に取圍まれた、まるでドブ鼠の様な奴にたかられたのだから、其心持の惡るいと云つたら一通りに非らず、併し苟も畫家が寫生に臨むのは軍人が戰塲へ立つたと同様、只死あるのみ、生命を投出して掛つて居るのだから僕には一向平氣だ、豕のクソ何にか有らん、ニンニクの臭氣何にか有らん、恰かも玉樓金殿に在るかの思ひして一心不亂に筆を動かした、左手には新民府司理廳と額打つたる、繪草紙にある閻魔の廳の如き建物が有り、之れを受けて右手に少しく遠く藥房と看板掲げたる大なる藥種屋がある、反魂丹だの葛根湯だの大小黒白青赤の看板が林の如くブラ上つて居て中々面シヨロい、遠景の部には屋根だの、幕だの烟突だの、赤い旗だの、何んだの、カンだのが有つて、此畫面の全體を通じては彼のドブ鼠が絡繹として、實に賑やかなる畫である、段々畫いて居ると大きなノツポが前へつッ立つ、ウーンッと睨み付けると直ぐ脇へどく、此鮎は割合に柔順だが、之れも亦戰勝の餘徳で、國威が發揚して四海を輝やかし、今新民屯の町中で親しく筆を振はるゝ吾輩までも此餘光に浴する事が出來るかと思ふと、感喜の涙、林漓たるを筆洗に受けつゝ、二時間斗りかゝつて、壽命は三年程縮まつても、元々無いと覺悟した僕、一枚の好記念を片手に抱へ、片手には頭陀袋、三脚やイーゼルを給仕に持たせ、意氣揚々と飛ぶ鳥を落したいが、鳥無き郷だから獨り蝙蝠先生、充分にハナでは無いバネを暢ばし、豕の尾を蹈み蒙古犬に追掛られぬ様注意して、家路に向へば、夕暮の紫は遠き柳の森を早や色取れり。