利根川廻り[上]
三宅克己ミヤケコッキ(1874-1954) 作者一覧へ
三宅克己
『みづゑ』第十五 P.9-10
明治39年8月3日
自分の友達の内に面白い者がある。その人は暇で退屈で新聞や雜誌を讀む代に、何時も字引を見るのを甚だ樂に爲て居る。言海とか又或は康熙字典と云ふ様なものを精密に調べると非常に面白いと言つて居る。成程これは至極良い思付であります。恰度これに似寄つて居るが、自分は又何か物に倦むだ時諸所の地圖を取出して見るのを大に樂に爲て居る。これは必ずしもその地に族を試むると否とに不拘、其地形とか町や村の名を調べて見るのを甚だ面白く思ふのであります。こんな事から自分は甞て利根川筋に關宿と云ふ所のあるのを地圖の上で知つた。この關宿と云ふ名は何と無く一種の趣味をもつて自分の耳に響いたのであります。これは必ずしも其地の風景が好いの、又面白い圖題が特別に其所にあると思ふた譯では無いので、即ち唯何と無くその名が妙に氣に入つたのであります。
時は五月下旬でありましたが、時候も未だそれ程暑く無いので一度其地方を廻つて見やうと、東京を發して先づ栗橋に行きました。さうして其所から利根川特有の通運丸で關宿へ下つて見やうと云ふ考を起したのでありました。恰度その日は東京を出る時から空は曇つて、雨が既う今にも落ちさうである。栗橋に着た時は愈々空合が怪しく、始終空ばかりに氣が取られて居ると云ふ始末、確にこれだけでも族の興は餘程殺がれて居りました。
先づ栗橋驛に着て不取敢利根川堤に出で.川の景色を眺めました。處が天地は全く濃き灰色に包まれて彼岸の中田の森や家は幽にその影をとゞめる計りで、極めて好い色合でありました。それに岸邊には利根川名物の高瀬船が幾艘もその艫綱を繋いで居つて、宛も活きた一幅の繪であります。丁度この景色に對しては先年中澤弘光君が白馬會に出品された當地の水彩畫を思ひ出しました。
暫く爲るうち雨は終にポツリポツリと降つて來た。如何に風流を氣取つても流石に川岸に立つて居ることも叶は無いので、豫て聞て居つた堤の上の宿屋に飛込むで自分の宿を頼むだ。尤もこの家は甞て中澤君の一行が泊つた家と承知爲て居ったからである。庭が不恩議にもこの日は黒絞付の羽織を着た地方の紳士連が、頻に出入を爲て居り且つ又帳場の模樣も奈何も可笑ので、自分は妙に思ひながら先づ這入つて今夜厄介になりますが差支はありませぬかと聞くと、お主婦さんらしき女が出て來て、へー今晩は何とも誠に御氣の毒様ですが、そのチト何で、御斷を、誠に濟みませぬが。と頻に要領を得ない返事である。然し謝絶の辭と云ふことは能く分つて居るから、自分は何にこの家斗りが宿屋でもあるまえと考へて、潔くそこは男らしく飛出した。然し雨は益々強く降つて來る。夕方にはなつて物淋しく世間が大分薄暗くなつて來た。是には何とも當惑爲たのでありましたo
この家を出ると向ふから大きな綱を擔いで來た親切らしい爺さんが來た。そこで他に何所か宿屋は無いかと聞いて見ました。するとステーシヨン前かさも無くば栗橋の町に一軒高瀬屋と云ふ宿があると教えて呉れた。その時聞けば彼の宿屋ではその日息子の婚禮があつたのだと云ふ譯でした。成程それで様子がのこらず解りました。
偖てそこで何所の宿屋に行かうかステーシヨン迄では十町近き道程がある。終に近い高瀬屋に行つて見ることに决しまして。雨で滑りさうな堤をあぶない腰付で町に下り、その高瀬屋に尋ねて行きました。その家は成程宿屋には違い無い。然し今日此頃の時候何と難有い觀音様でも居さうな家。それには舊の五月節句にでも間に合すのか、今下の座敷では鯉幟を懸命に彩色爲て居る。店の様子から見ると奈何も自分等と同業者らしい。他に「繪びら」の樣な物も一二枚見懸けた。然し今更に無據いから先づその家に泊ることに極めた。先づ二階に上ると天井は無く、梁の丸太が遠慮も無く顯れて居る。剰さへ屋根の隙間から幾分か空も見えるやうだ。その内雨は愈盛に降つて來る。屋根を叩く音が屋根板裏一重で手に取るやうに聞へるoするとポタリと其所に水でも滴れたやうな音が爲た。見ればこれは如何に醤油とでも云ふべき色合の怪しき一滴である。これ疑も無く屋根から落ちた雨漏、イヤこれには何とも驚かさるを得ない。早速他の室をと思ふたが、ランプ屋さんの二人が占領して居る同じ二階の隣室があるのみで、他には生憎部屋が無さそうだ。總てが斯樣な始末だから萬事何も辛棒が肝心と泣き泣き其所に小さくなつて縮むで居た。
そのうち又異樣な臭氣が下の方から芬々とやつて來た。自分は堪へ兼て階子の下を覗くと。下では鯉を塗る爲に極く下等の灰墨をグツグツと火鉢で煮て居る。その臭氣は即ち膠の香なのである。今は上下から盛に攻め立てられるので最早身の置所も無く、濁り牢屋にでも這入つたつもりで、辛棒爲で居ました。それで奈何です其上風呂は一町半もある町の錢湯にやらされたのであるから、何とも其上申上る言葉は無いのです。栗橋の一夜は先づ斯様な風て最も不愉快に送りました。夜に入り床に就くと直ちに蚤軍の練兵が始まり其上隣室のランプ屋さん大蛇の如き高鼾其夜は碌に眼を閉ることも出來なかつた。
スケッチの所感に就いて御話を試むる筈の處未だ研究が付か無いから何れそれは他日と爲て其代に族行談を掲載致すことに願ひました。