小倉川

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

TO生
『みづゑ』第十五
明治39年8月3日

 八王子停車場から、新道なら三里、七國峠を越えて往けば二里半、久保澤の町の下に小倉の渡しといふ處がある。新道には乗合馬車(二十五錢)があるが、舊道も難儀な道ではなく、途中スケツチするによい處もある。
 久保澤の町はダラダラ下りで、町の中央に葢のしてある大きな澤があり、建物も一寸面白く、道路山水の好畫題である。
 町の上は見通しのつかぬ程な廣い平原で、一面の桑畑、處々に林や森があつて、單調を破つてゐる。朝夕の雲を研究するには最もよい處である。
 町から下ると二三の水車があり、川尻とよはるゝ可なりな瀧がある。やがて廣々とした小倉川の岸に出ると、爰には渡船があつて、對岸に渡し守の小屋一つ、清き水は緩く流れ、遙かに荷船の帆掛けたのも見える。兩岸の山は高く峻しく、凡ならざる風致を供えてゐる。
 上流には大井、川和、中野などいふ處があつて、何れも多少の畫材を供えてゐる。殊に中野のあたりは、川幅狹く流れ急に、一層變化に富んでゐる。此上は桂川とよばれて、甲州より來るのである。
 下流二里、田名といふ處は、絶壁高く峙ちて小赤壁の名ある勝地である。相摸川となり厚木を過き、馬入川となり平塚に出で、須賀にて海に入るので、荷舟に上乗して下るも一與であらう。川を渡り小倉村から上ると、根小屋、半原、田代などいふ處がある。半原は、宮ケ瀬川村の中央を流れ、兩岸には無數の水車があつて、橋上からの眺は頗る奇觀である。半原から田代へ徃く道の右手には、監川の瀧といふのがある。二段に落下して遠望もよく、近くの眺も又可なりである。
 私は數年前十一月中句に、二年も續けて此邊の寫生に出掛けた。小倉川兩岸の紅葉、其色の美しきは云ふ迄もなく、尤も妙なるは平原の桑の葉の眞黄色になるので、題る壮大な感がある。
 前の月も久保澤附近の有志、金子、増田、神藤諸君に招かれて本曜會の人々と共に此邊の寫生に出掛けたが、夏の景色も中々惡くはなかつた。鮎狩にとて、上流城山の麓寳の峯といふ邊まで溯つたが、見上るやうな紫色の巨巖には、折から牡鵑花が盛りに咲いて深碧の水に映じ、實に何ともいへぬ美しさであつた。(當時の紀行は七月の中學世界卯杖八月の文藝倶樂部に出てゐる)
 久保澤の宿屋は、車屋といふのがたゞ一軒あるのみ、宿料は洋服なら五十錢、其他は三十五錢との事である。

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