寄書 僕の水彩畫の器具

S、I生
『みづゑ』第十五 P.17
明治39年8月3日

 大家の肉筆の水彩書は見た事はなし、ワットマン一救得られない田舎に居る僕には水彩畫の器具を一々買ふ事が出來ない、繪の具、筆、鉛筆等の外は悉く自分で製らへたのばかりを用ひて居る、けれども葉書大や十六切位の一寸したスケッチは充分に間に合ふ、畫架や三脚床几や、欲するが儘に得られる都の坊ちやま達には珍らしいだらうと思うから參考の爲に御目に否御耳に入れませうか、先づ僕の畫架は長さ四尺、直經六七分位の竹三本の上部を針金で開閉の出來る樣にくゝり、二本へは畫板を載せる爲に四つか五つの穴を双方へあけて、竹製の釘の樣な畫板止めをさし、欲する處に從って畫板を四段か五段か上下の出來る樣にした、携帯には少々不便であるが製法の簡單なのを主としたからである、三脚床几は木ならばよいが成べく手製で製法の容易なのと思ったから、みづゑ第九號に出て居た靜遠君の示されたのを竹でやった、長さ二尺の竹三本を釘で止め猶、念の爲、紐でくゝった、上は白布で張ッた、但し之れ丈は女の手を借りた、畫板は棚にしてあった不用の奴を削って横へ桟迄も打ち付けた、.大ききは一尺に一尺三寸、鉋が惡いので見た處はいかにも立派でないが、それでも畫用紙の四ッ切位の水貼りが出來る、見取定規は菓子箱の切れを仕事に來て居た大工に削って貰って製らへた、筆洗は直徑一寸六分、深さ一寸八分の竹の筒で皮の方を削って繪の具箱に取付けられる樣な柄を製へ、木兎でみがいた、此れには一寸苦心して半日もかゝった、水筒は一合餘り入る硝子瓶で間に合はせ、海綿は暴風雨の際濱へ波の爲めに打ち上げられたのを拾って置いたのが、浪にもまれて柔かく氣麗なので此れを使ふ事にした、畫嚢はないから風呂敷包にして行く、畫架と三脚とは一處にくゝって、然し追て畫嚢も製へるつもり、器具は實に不完仝だが其れでも大方は自分でに製らへたものだから嬉しい、之れを持って青葉の蔭へ畫架を据え、そよ吹く涼しい風に吹かれて筆を走らせて居ると梢に鳴いて居る蝉の聲迄が何時もの暑くるしい眠い調子とは違って勇ましい愉快な涼しい樣な氣持がする。

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