水彩畫を學ぶの順序[一](水彩畫夏期講習會に於ける講話の大要)

丸山晩霞マルヤマバンカ(1867-1942) 作者一覧へ

丸山晩霞
『みづゑ』第十七
明治39年10月3日

△茲に説く水彩畫法は余一己の私見にして、是にて盡きたるのでもなく、是が又一番正しい道だといふのでもない、唯大綱であるから、諸君は銘々工風をされたがよい。
△世間に娯樂の種類は澤山あるが、自然を樂しむに如くものはない。自然の樂は極まる處がない、その上、親密になればなる程趣味が深くなる。
△此自然の樂に接する、即ち白然に近づくには種々の手段があれど、繪畫は尤も適したものである。
△繪は自然の形を平面に現はすに過ぎぬもので、甚だ容易でもあり、又甚だ至難なものである。
△如何にして自然の形を平面に現はすべきか、其順序方法を知つて之を行へば容易である、然らざれば勞多くして功少なきものである。
△繪とは何か、自然を平面に現はすといふた處で、一分一厘自然と違はぬやうに紙面へ現はしたとて、それは繪本來の目的ではない。其現はし方の巧拙によつて初めて繪が出來るのである。
△乍併、巧なる現はし方をなすには、順序として實物を手本として、それに違はぬやうに寓生をするのが必要である。これは進みゆく階段である。
△静物寫生、それが出來てから戸外の寫生に移るので、此時も一部分の小さな處から始めて、漸時大きな景に及ぼし、終には活動したものに移るのである。
△天然物、タトヘバ樹木や石の如き、雲の如き、皆寫すにムヅカシイ材料ではあるが、多少輪廓や色や調子に相違があつても目立たぬ、ゴマカシが出來る、併し人造物の器具の如きものは、寫すに困難は少ないが、目前に在て形が正しい丈けにゴマカシが利かぬ、夫故寫生の第一着は、人造物からやるのである。
△寫生の時は極めて正確に畫かねばならぬ、物體の命する儘に描くのは必要である、自己の意志で勝手に形や色を變へてはいけぬ。
△爰にいふ正確も、一點一劃木の杢目迄も描けといふのではなく、其物であるといふ感じを充分描き出す事をいふのである。
△人造物から天然物に入るには、花一輪、木の葉一枚といふやうに、單純なものから入るのである。
△戸外寫生の位置は、自己の感を惹いた處を寫すのである。自然の寫生は感じを第一とする。
△無意識に散歩してゐる時、何となく人の感を惹く塲處があるものである、その引附られたる景は寫生する動機を與へたので、繪になる場處である。
△何故に此感を與へたかをよく研究して見るがよい、そこには原因があつて、其感を與へたものが繪の主點になるのである。
△戸外寫生の位置は、初めは道路山水がよい。そして遠景、中景、前景と、明らかに揃ふてゐるのがよい。
△市街など、中央から見て、左右の家屋の平均して中央に集まるのはよい位置ではない。左なり右なりへいくらか傾く方がよい、併し又あまり極端に不平均なのもよくない。
△不得止場合で、中央へ統一するやうな位置の時には、添景人物を置て調子をとるのである。
△位置をとる際、初學者は見取枠を用ひるのは便利である。
△次は輪廓であるが、凡ての物の輪廓は、直線と曲線たゞ此二つより成るのである。
△直線、曲線たゞこれ丈けであるから、繪畫は高尚な趣味の高い技術で、且至難なものとしてあれど、直曲二線は誰れでもかけるので、苟も文字を書し得るものには、此門に入るのは容易な事である。
△直線の輪廓は間違なしに引張る事が出來るが、曲線はソーはゆかぬ。
△眼の修養のない初學者には、曲線を正確に見る事が出來ぬ。普通の眼では絶對に寫し得らるゝものではない。
△夫故に繪の初歩は、直線より入るのである、初めの寫生は直線より成立したものから描くのがよい、細部には眼を閉ぢて、大きな形、大きな濃淡と、大體が間違なく出來てから、漸次細部に渉るのである。
△輪廓をとるに、あまりに畫面に接近してはいけぬ、離れられるだけ離れて寫す方がよい。
△輪廓を正しく寫するには虚線が入用である、虚線で畫面が眞黒になつても構はぬ、たゞ虚線は、可成筆を輕く持つて畫かねばならぬ。
△實物寫生をするのには、透視畫法を知らねばならぬ。眼の物を視る範圍は六十度以内としてあるから、風景を寫す時も、首を廻はさねば見えぬやうな廣い處は、畫面に入らぬものである。
△通例、自己の足元から少くも二間位ひ先を、畫の底線とするのである。
△寫すべきものゝ特徴を捉えるといふのが寫生の秘訣である、小刀細工をして細部迄描いても自然の感じをとる事が出來ぬ。大體でも其主眼となる特徴さへ寫せばそれでよい。

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