講習會俳句日記

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畔川生
『みづゑ』第十七
明治39年10月3日

 八月四日同行四人午前九時飯田町より甲武線に上車出發
 秋あつく首にもかけし荷物かな
 立川驛に下車、寫生す
 桑摘と我とぬれたる夕立かな
 青梅鐵道に乗換へ五時青梅町旅舎坂上に投す
 女郎花我がゆく汽車の高さかな
 八月五日講脅會場は青梅小學校樓上なり會員貮拾餘名、午前静物午後郊外寫生
 賢や愚や暑き二十の頭かな
 八月六日多摩の清流山狭り岩奇也
 石慮々水散るなへに鳴く河鹿
 雨の旦月の夜鮎の落にけり
 八月七日旅舎に新婚の妻女あり
 思あり人夏痩とあやまてり
 八月八日來會者は東京は云ふに及ばず、遠くは山形、新潟、滋賀、徳島縣等より來れるあり、宿舎樓上雜然として、然も和氣靄々たり
 稻妻や二十五人にがわと照る
 八月九日講師丸山先生は旅を好み賜ふ、頃者利根上流より信濃を經て歸り賜ひ、旅装をとくに遑あらす、直ちに會場に來られ、一夜趣味深き旅かたりしたもふ
 馬上筆を揮ふ花野の旅情かな
 八月十日荒廢せし庭後を描く位置を誤まつて先生の嗤を招くなく蚓蚯汲むべき井戸にあらざりき
 八月十一日同人膓を病むもの多く我も一夜苦みし
 なき初むる壁★や腹いたむ
 八月十二日夜は脛押し指角力又は歌かるたなどに叫めくもあれば、こなたには故郷知友への音信など認るもの、はや長くなりて畫の疲れに鼾かくもあり
 蜻蛉不言蝉饒舌を揮ひけり
 八月十三日怪談話に夜を更す
 犬神の恐き話も秋の夜ぞ
 八月十四日鹽舟村に池あり、睡蓮といへろ花さきて、野生にはいと珍らしきものなりと云へり、きけば此池に、曾て女の故ありて身を投せしことありといひ、今尚大きやかなる卒塔婆の池上に浮めりといふ、奇を好む一同は先生等に引連れられてゆく、來見れは、僅かに二三輪の花水上に浮むと見へて、日落つると同時に花睡りて其所在をさへ失はんとす、衆皆その豫想に反せしの餘りなるに驚く、或人此花を名けて金米糖花といふ、日暮てかへる行程約一里
 山百合に山萩に蛇をおそれけり
 蓮は稀に水影草のなびくかな
 蔓草の百合にからめる汀かな
 八月十五日金剛寺は由緒ある寺なり町の西端にあり
 山寺に繪をかきにくる芙蓉かな
 八月十六日此町は月送りの盆祭也
 大なる燈籠かけたり我宿は
 八月十七日名物といへる燒饅頭を食ふ、それよ破れ障子に名代何々とかけるその家ありし、失敗はこれにもあり
 木槿さくきたなき家と思びけり
 八月十八日青梅町は曾て大下先生の棲み賜ひし庭なり、從ひて秋葉金比羅山に登る、先生指呼その勝を説きたもふ
 昔栗拾ひ給ひし山路かな
 畫の師匠畫の弟子桔梗めでにけり
 八月十九日よき繪も出來ねば
 日向葵にうんずる畑の寫生かな
 八月二十日友に送りし繪葉書に
 咲き殘る撫子寫す思ひかな
 八月二十一日水描し人、岩かく人、草木かく人、雲かく人、
 水かけば草かけばくる蜻蛉かな
 八月二十二日奇抜なること、失敗せしこと、二十人のそれに,盡くる處を知らす、その二三を録す、曰く某氏のポテトー、曰く某氏の留守居なし、曰く某氏の井戸端寫生、曰く某氏の忍ひの猫、曰く某氏のツマミ絞り、曰く某氏の借金借金、日く某氏のガラス瓶、曰く某氏のガムボージ等數ふるに遑あらさる也、蓋し天機は漏す可らす
 葡萄食へばすく柿食へば澁しこの秋は
 八月二十三日先生の繪をみれは羨しきこと限なし、去つて己の拙劣を耻づ
 ★の如き鬚生やさうと思ひしか
 八月二十四日丸山先生に隨ひて御嶽に上りし≡二子の大雨に逢ふて歸り來る、例によつて珍談を齎らす
 稻妻に御嶽の勝の奇抜かな
 八月二十五日午前作品展覽會を會場に開く、先生の講評あり、亦青梅には、錚々の士ありて同しく作品を並びかゝぐ、到底我等が敵にあらざる也
 生れ出てたるは青き蟷螂にて候なり
 午後繪端書會と懇親會を開き、終つて大半歸途につく
 おさらばの芒うなづき合にけり
 八月二十六日午後衆に後れて歸京す
 去るときの桔梗を折るも一人かな

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