奇抜と失敗(夏期講習會の珍談)
『みづゑ』第十七 P.18
明治39年10月3日
□奇抜といふ語が大に流行した□晴帆君の懇話會席上で『西洋畫に趣味を持つてからは、從來やつてゐた日本畫はお留守になつて、未だ留守居も置きません』と當人頗る眞面目にやつて退けたのは奇抜であつた□青梅鐵道の列車は動き出すとチヤキンチヤキンと音がする、丁度借金々々と聞える、借金鐵道とは是であらふと汀煙子の奇言□露香君が宿屋の女中から寫眞屋と間違へられたのもよいが、御自身が寫眞屋と間違へて理髪店へ飛込んで現像を頼んだのは失敗の甚きものさ□失敗といへば同君が頻りと鬚を剃らしてゐる後ろから、紫舟君が惡戯するつもりで窃かに近づいたはよかつたが、前の姿見へありありと映つて露見したとの事だ□晝の休みにアミダをやつて大々的鹽餡の燒饅頭を七十個と買込んたが、皆一口やつて見て顔を見合せ誰れも二つと手を出さなかつた□宿屋の蚊帳には大きな燒穴が數知れず、これを一々摘み上げて糸で結んだから、或人はッマミシボリの蚊帳だと命名した□蚊帳で思ひ出したが片手を以て盛んに蚊を捕る事の名人な先生も居ました□何でも朝に晩に否夜中迄もポテト斗り噛つてゐた人があつた□菓子屋の店に立て曰く『チヨコレートはあるか』『お生憎さま』『ココアは』『お生憎さま』『クリムソンレーキは』『バンダイクブラオンは』『エメラルクドリーン』は菓子屋の亭主大に面喰つて『へ1手前共では西洋菓子は取扱ません』と□香氣のあるのを幸ひ實用糊を西洋の鬢つけだといふて、氣に喰はぬ女中の頭へ塗らしてやらうと相談はしたが、流石に温良な連中丈けあつて終に實行はしなかつた□動物園の虎のやうな聲を出すのは誰です□汁粉ならザツト八杯、甘たるい餅菓子を見てゐても氣の引ける程詰込んで、お茶も飲まずに平氣でゐるのは本所の豪傑□四丁先生の繪葉書で見ると鹽舟の池の睡蓮は花が座布團位ひの大きさに見える、一里斗りの山里を態々往て見たら、金米糖位ひのやつがたつた三つおやおや□『君、先へ往たまへ』『まア私はおアトから』(腹の中で曰く蝮蛇にでも出られては事だ□腹が減つて宿への歸りを急いで半分は駈足、それで遲れて來るものを評して曰く『あの連中は吾々よりも一層腹が減つてゐるから歩けぬのであらう』と□それもその筈さ、お粥腹ですもの□御嶽へ登る時、暑いといふて谷川へ飛込み、顔だけ出して天女の水浴だと洒落てゐたのは六尺もある大男の晩雪君□さて水浴はよかつたが、其反動で却て熱くなり、連リに汗を拭ふてゐたが、見れば顔も襟も赤やら黄やら五色に染つた、これはハンヶチを忘れて総具を拭ふ布片でこすつたからだ□山の上では其布片も失つて仕舞つて、詮方なしに眞裸體になつて、爾手でもつて汗をこき上ては捨てゐた、前代未聞の藝當である□御嶽の宿屋の天井の低かつた事は赤兒でも頭が閊へそう□僕は三度打付ました□御嶽の歸りは大雨につぶ濡れ、隨分憫然たる有樣であったが、負惜みの強い連中の事とて平氣な顔で『降るのは下界ばかり、御山は晴天さ』と大氣焔□そんなら何だつて山の上から傘を買つて來たのだろう□紫舟君がかるたを八十枚持つて、二人の相手に十枚宛持たせて、終に勝利を得たのは痛快であつた□小使部屋の茶壺がダイブ時代物らしいので、賣つてくれといふたら二つ返事、ついウツカリして盛んに賞め立たものだから、急に慾が出たか、娘がグズグズ申ますといふて破談、忌々しい次第だ□尤も奇抜なのはKK君の筆洗で、直径五寸高さ是に適ふといふ共葢の大壜、その中に水をチョンボリ入れて頗る遠方へ置き、筆を洗ふ毎に手を一パイに伸してヂヤブチャブやらしてゐる、さて用が濟むと其中へ繪具やら海綿やら、色々の道具を入れてブラリブラリ、ある時岩に打付て縁を壊したが、終には宿屋への置土産となつた
(まだある)