讀者の領分


『みづゑ』第十七 P.22
明治39年10月3日

■鵜澤先生譯の『日本の春』はあれで完結ですか(鶴首生)◎春は終りました、そのうち秋の部を載せます■『みづゑ』十五の口繪蓮池は最も心地よき色彩と圖柄眞に見惚ました、爾後時々此やうな繪御掲出を切に希望す○表紙もよい○時々三宅氏の着彩畫も御掲げ願ひたし(牛込愛讀者TO生)■三宅克己氏著水彩書手引御入用の方あれば御譲り申たし(大阪、晩華)■繪もならず獨りさみしと歸りゆく梢に烏アホーアホーと啼く(横濱、信夫)■春鳥會々員は何歳位の人が一番多きや2入會の際提出する繪はワツトマン十六切にてよきや(乙部笑波)◎1二十歳前後の人多し2差支なし■『みづゑ』は吾等の生命である、一頁と雖も貴い、旅行談などに空費されるのは残念である、寧ろ教科書的に肩の凝る位いにやつて貰いたい(虹影)◎返事をせよとの事故申上ます、精々注意しますが講義録ではないのですから多少の閑文字は御見許しを願ひます■會員組織は一日も早く實行せられたく、又正會員と賛助會員とは資格に如何なる相違ありや(大阪、晩華生)◎既に實行してゐます、會員の資格は『みづゑ』十三を御覽下ない■『みづゑ』十五は創刊以來第一の出來で實に嬉しく思ひました(茨城河北生)■夏期講習會に出られなかつたは畢生の遺憾、定めて記事が現れるだろうが、残念の思ひを増す斗りだからよい加減にして置て頂戴(廣島望嶽生)■似而非畫師や檜具斗りは立派なり(高知S、M)■鎌倉から徒歩夜行、朝の五時に歸宅、頗る草臥れて動く事も出來なかつたが、不圖机の上に『みづゑ』が來てゐるのを見たら堪らん、「面白かつたかい」と伯母さんの問かけるのも聞流して、一種なつかしい思ひして表紙を繰ると丸山先生の宮川沿岸の山村!眠いのも疲勞もあと方なくなりました(横濱アキマロ)■『寫眞例題集』を取よせて見て『みづゑ』の評言の決して誇大でなく眞面目なるに敬服した、願くは寫眞でなく水彩畫であの位のものが毎月出ればよいが(山形YZ生)■飛騨紀行は實に面白い、平凡な文學者の筆と違つて文字が皆活きてゐる、況んや其本領たる繪に於ておやだ、丸山先生緑蔭研究旅行談も願ひます(風枯生)春鳥會の繪畫批評は實に嚴格で一歩も假す處がない、多年の迷霧は僅かに評箋一片によつて破られた、多謝(會員の一人)■水彩畫大家の文章のお上手には感心する併し一寸欠點を申せば、大下先生はオトナシ過る、三宅先生はちとクドい、丸山先生は形容詞がウルサイ、石川先生はカル過る、中澤先生は女々しい(麻布CK生)■登米洋畫展覧會は八月九十兩日開かれ、中々盛會水彩で重な作者は紫水、蕉雨、破瓢、燐、臺西、東鶴、梧堂の諸氏、參考品には高橋勝藏日隅愛州氏等の作あり(陸中KY生)■中學世界で春鳥會夏期講習會の景況をよんで出席しなかつたを口惜しがつてゐるものは(シロート生)■來年大阪で水彩畫の講習があるとは眞實ですか(玉泉)◎八月頃催す積りです

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