水彩畫を學ぶの順序[二](夏季講習會に於ける講和の大要)
丸山晩霞マルヤマバンカ(1867-1942) 作者一覧へ
丸山晩霞
『みづゑ』第十八
明治39年11月3日
水彩畫を學ぶの順序〔二〕(夏期講習會に於ける講話の大要)
丸山晩霞
△着色君を學ぶには先づ墨繪から入らねばならぬ、墨繪には鉛筆、木炭、チヨーク等あれど、鉛筆を以て尤も便利とする。
△光があつて始めて物が見える、光あれば陰影がある、此光と陰影とを研究するには、一色畫即ち墨繪を至便とする。
△墨給の稽古には白色のものがよい、白色は光と陰影とが判然別れてゐるからである、通常初學者には白い石膏の模樣や何かの浮彫から寫生させるのである。
△白地の布地もよい、白い衣類のやうなものもよい、ハンカチーフなど適宜に襞を作つて寫生するとよい研究になる。
△鉛筆畫の描法は別に極まつた規則はない、寫すべきものが描法を示してゐる、面の滑なものは筆を密に面の粗なものは筆も粗に、凡て物質に做って畫けばよい。
△細部は止を得ぬが、鉛筆は可成懸腕で描く方がよい、それでないと筆がイヂけていけぬ。
注、鉛筆畫については『みづゑ』第九及第十二に講話あれば、重複を厭いて爰には詳記せず。
△一色畫も墨繪のうちである、多くセピァで描く、毛筆を以てするもの故水彩畫の稽古になるは勿論である。
△一色畫で感じを現はす事を研究するのもよいであらう、タトヱバ四季の區別、朝夕の區別の如きを一色で充分見せるやうにするのである。
△四季には、其季節季節の花鳥や昆蟲動物などを配すれば想像させる事が出來やう。朝夕は立派な着彩畫でも現はし難いものであるが、朝なら朝であるといふ觀念を以て寫せば目的を達し得るであらう。
△色木炭紙の如き紙に鉛筆にて描き、これに光部にホワイトを點するも、墨繪の一種として甚だ面白いものである。元來色紙に描いたものは、多くの勞をなさずして深い感じが出るものである。
△色鉛筆は、一種の洒落畫に類せるもので、重きを置かれぬが便利である。スケツチ用として尤もよく、雲の色など寫して置くには適當な材料である。
△水彩畫を描く力のある人には、色鉛筆の使用は自在であらう。
△色鉛筆に用ふる紙は、質が硬い方がよい、木炭用紙が便利である。
△水彩畫に移る前に淡彩といふのがある。
△淡彩は、尤も丁寧に鉛筆で形を描き其上に心覺えの爲に色を着けるので、これは濃い色は不必要である。
△是からいよいよ水彩畫である。
△水彩畫に大切なるは言ふ迄もなく色であるが、現今は多過る程澤山の色の種類が出來てゐるが、昔しは畫家自身が銘々で發明したものである、ルーベンズマダー、ヴァンタイクブラオンなど其例である。
△色には熱色と寒色と兩方ある、何れも見る人の感で區別される、黄や赤に屬した色は熱色で、靑に屬した色は寒色である。
△色も光りによつて初めて現はるゝものである、光線によつて其物固有の色を種々に變ずるのである、固有の色を如何に綿密に寫し出しても、それは標本であつて繪ではない。繪はその物固有の色でなく、光線の力によつて發色されたる美しい點を捕えて畫くのである。
△雪は白し、木の葉は緑なりといふ觀念を取去れよ、若し此觀念に支配せらるゝ時は、眞の寫生は出來ぬ。
△光線によって現はるゝ色は、赤き花も赤といへぬ、緑の木も緑とする譯にゆかぬ、天象や氣候や、種々なる反映によつて、いつも固有の色のみ現はすものでない、畫者は宜しく其時に感じた通り寫せばよいのである。
△色の第一に目に入るものは白色なれど、強き印象を與ふるは赤なり、赤は幼稚なる色にして、又危險の信號に用ひらる。
△曲線の形の畫き難きが如く、色彩も實相を得難きものにして、赤、黄の如き熱色は、實際より形稍大きく見ゆるものなり。且熱色は、總じて快感を與ふるものにて、寒色は之に反す。
△自然界のものは、曲線より成立つてゐるが、又直線に近いものがある、杉檜の林の如き、竹林の如き、斷崕絶壁の如きはそれである、而して色に譬ふれば、曲線は熱色で、直線は寒色である。
△直線より成りしものには壯嚴を感じ、同時に悽愴の感もある。曲線は之に反す。直線と曲線と互に調和して美を成すが如く、熱色と寒色と双方がよく調和された時、始めて美感を生ずるのである。
△熱色と寒色と、同樣に烈しくては調和せぬ、春の日、熱色なる黄の★の花に配するに、寒色の水の滴る樣な靑空では調和せぬ、この時靑空を、穩やかな霞の籠つた寒色に代へるとよく調和するのである。又其★の花の色の反對色なる、紫がゝつた夕方など尤も佳い感がある。
△四季の色を分類すれば凡そ左の如くに思はれる。
△春の中で、早春は茶褐色最も多く、黄、白、樺、淡紅、藍、鼠等が重なるもので、此期節の生物は此等の色に似てゐる、そして花は黄及白が多く、次には淡紅である。
△春深くなりゆくに從ひ、紅は漸く濃くなりゆき、晩春には新に紫色が加はつて來る、そして蝶の如きも美しいものが出て來る。
△夏は緑の色濃く、焚ゆる如き紅き花も咲いて來る、夏の末には緑に白味を帶びて來る。
△秋は春に似て一時に美はしい草花が開く、其花の色は、夏の如く濃厚ではない、中秋には黄が多く、晩秋には赤より褐色が多くなつてゆく。
△冬になると、自が尤も調和する色となる。
△若し形を以て四季を通じて見れば、風景畫の大部分は木と草とである、而して風景畫に於て、一番ムヅカシイのは矢張り木と草とである。
△風景畫に於ては樹木が重く見られてゐる。樹木が充分畫き得れば、他のものは比較的容易なものである、歐米の有名な風景畫の大家も、樹木に就ては實に深い研究をしてゐる。
△日本は最も樹木に富む國である。樹木は通常大別して、常緑樹と落葉樹とに分れてゐる。
△此二つの種類の特質を冒へば、常緑樹は幹が硬く脆く、そして曲状をなし、強い感がある、樹皮は粗硬で、幹と枝との角度は開いて、四十五度以上九十度にも廣がつてゐる、杢目は強く彈力がある。
△落葉樹は、幹は柔かで粘着力があり、樹皮は滑かのが多く、直状をなし、幹と枝との角度は十度から四十度位迄開いてゐる。
△以上兩種の相違は、葉の輕重によつて起るので、常緑樹は風雨や雪等に抵抗するを要する爲め丈夫に出來てゐるので、落葉樹は風や雨に逆はぬのである。
△杉の如き樹は直状をなせど、枝は必ず廣く開いてゐて、重きものを支ゆるに適するやうになつてゐる。△常緑樹は男姓で、落葉樹は女姓ともいへる。
△落葉樹にして常緑樹に酢似してゐるものがある、桐、梅、桃、柿、栗、栢、櫟其他の果樹である。何故に然るかとなれば、それ等は重き葉を持つか、又は重き果實を支ゆる爲めである。
△又寒國の樹と暖國の樹とは姿勢を異にする、そは言ふ迄もなく雪の爲めである。同じく高山の樹は、落葉樹と雖も天然と戦ふために、殆と常緑樹に似たる姿をしてゐる。
△松は雨が降ると葉が萎み、晴れると開くものである、注意すべきことである、又よく日本畫に見る圖なるが風雨の時松が幹も枝も葉と共に動いてゐるが、あれは間違である、常緑樹の幹は動くものではない。
△樹木を寫す方法は、其樹木が教へてゐる通りにすればよい、硬い樹なら硬く畫くのである、何の樹はドーいふ風に描くものだと、型を作つてはいけぬ、ドコ迄も自然に從つて研究すべきものである。